昭和26年(1951年)11月、松坂屋寄贈。清水多嘉示作。 昭和56年(1981年)、清水多嘉示は84歳で死去。 |
野口英世は、明治9年11月9日、福島県猪苗代湖畔の農家に生まれた。31年、北里柴三郎主宰の伝染病研究所助手となり、33年12月に渡米、37年よりロックフェラー医学研究所で梅毒スピロヘータ等の研究を重ね、国際的にも高い評価を受けた。大正7年からは中・南米やアフリカに赴き、黄熱病の研究に努めたが、やがて自らも感染してしまい、昭和3年5月21日、現在のアフリカ・ガーナ国の首都アクラで没した。享年53歳。 野口英世銅像は総高約4.5メートル(台石を含む)、製作者は多摩美術大学教授吉田三郎。英世の写真に基づき、試験管をかざした実験中の姿を表現したもので、台石にはラテン語で「PRO BONO HUMANIGENERIS(人類の幸福のために)」と刻まれている。 銅像造立の活動をはじめて起こした人物は、福島県三春町出身の玉応(たまお)不三雄である。玉応は英世の偉業を後世に伝えようと、昭和22年より募金活動を行ったが、国内の経済力が貧弱な時期にあって困難をきわめ、中途にして病に倒れた。その後、日本医師会・北里研究所・野口英世記念会等が活動を引き継ぎ、昭和25年には東京都教育委員山崎匡輔を建設委員長にむかえ、山崎の周旋によって上野公園に造立されることが決定した。 昭和26年3月、現在地に造立。月は異なるものの英世の命日である同月21日に除幕式が行われた。 なお、銅像前面の標示石・敷石は昭和46年に会津会が設置したものである。
台東区教育委員会 |
明治22年(1889年)5月25日、吉田三郎は石川県金沢市に生まれる。 明治40年(1907年)3月、東京美術学校彫刻科に入学。同期に北村西望がいる。 昭和10年(1935年)、千代尼百五十回忌に当たって聖興寺に千代尼堂建立。 昭和28年(1953年)、「雲に漂う」制作。 昭和37年(1962年)3月16日、急逝。享年72歳。 |