2021年東 京

大國魂神社〜軍艦多摩〜
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JR武蔵野線府中本町駅下車。

府中市宮町に大國魂神社(HP)がある。

鳥 居


府中の駅路の左側にあり。延喜式内大麻止乃豆乃(おおまとのつの)天神社これなり。後世に至りて同く式内小野神社を合せ祭る。故に今両者一社の称あり。(神主は猿渡氏、その余、社司・社僧等奉祀す。)

本社祭神、大巳貴命。相殿、素盞嗚尊・伊弉冊尊・瓊々杵尊・大宮女大神・布留大神。(以上六神、これを俗に六所明神と称せり。

天下春命(あめのしたはるのみこと)・瀬織津比当ス(せおりつひめのみこと)・稲倉魂大神(うがのみたまのおんかみ)(以上三神、これを客来三所の御神と称せり。すへて九神合せて共に六所宮と称す。この三神の事は一宮と小野神社との条下に詳なり。)

大日本帝国海軍
軍艦多摩戦没者慰霊碑


  玉の緒の
 あらんかぎりハ
  大神の
御恵うけて
 國や守らん

海軍少佐松川彦太郎 大正13年1月27日献歌

軍艦多摩


 球磨型二等巡洋艦。基準排水量5,100頓。全長162.15米。全幅14.17米。出力90,000馬力。速力36節。

 艦内には守護神として大國魂神社が祀られていた。

 昭和19年10月18日、捷一号作戦が発動され、多摩は第一機動部隊の一艦として出撃した。25日、フィリピンエンガノ岬沖に於いて敵機動部隊と交戦し機関室に被雷、呉へ単艦回航中、米潜水艦ジャラオの雷撃により沈没した。山本岩多艦長以下総員戦死。北緯21度23分、東経127度19分、時間午後11時10分。

 本年、軍艦多摩沈没70年にあたり、軍艦多摩と戦死された英霊を鎮め、世界の恒久平和を祈念しこの碑を建立する。

平成26年(2014年)10月25日、建立。

随身門


武藏総社大國魂神社

当神社は、大國魂神を武蔵の国魂と仰いで、鎮祭し祠った神社である。

第12代景行天皇41年(111年)5月5日大神の託宣によって創立せられ、 武蔵国造が代々奉祀して祭務を司った。其の後孝徳天皇の御代に至り、大化の改新(645年)により武蔵の国府がこの地に置かれて、当社を国衙の斎場と して、国司が祭祀を奉祀して国内の祭政を司った。国司が国内諸社の奉幣巡拝等の便により側に国内の諸神を配祀したので「武蔵総社」と称し、又両側に国内著明の神社六社を奉祀したので「六社明神」「六所宮」とも称された。鎌倉 幕府以後徳川幕府に至るまで代々幕府の崇敬厚く、再三社殿を造営し、徳川幕府より社領500石を寄進せられた。明治18年より昭和21年迄官幣小社に列せられ、其の後宗教法人と成る。

大國魂神社・府中市観光協会

中雀門


6月30日は夏越しの大祓。

   よみ人知らず

水無月の夏越の祓する人は千年の命延ぶといふなり


拝 殿


延喜式内社である。

東京都指定有形文化財(建造物)

大国魂神社本殿

 律令時代国司が国内の大社六社を一所に勧請祭祀したのが始まりで、当時は武蔵総社、六所社と称していました。源頼朝以降、歴代将軍家等武家の尊信が厚かったと言います。現存する本殿は、正保3年(1646年)の火事によ全焼の後、徳川四代将軍家綱の命によって、寛文7年(1667年)3月に完成したものです。その何度か修理を行なっていますが、古式を伝えています。構造は、一間社流造の社殿3棟を横に連結した三間社流造の相殿造です。流造とは全面の屋根が長く伸びて庇(向拝)となったものです。流造自体は神社の建築様式としては最も一般的な形ですが、3棟合わさった構造洋式は、遺例が少なく珍しいものです。3棟の社殿は1つ屋根の下にありますが、それぞれ別々の神を祀っでいます。

東京都教育委員会

人が多いのには驚いた。

 昭和5年(1930年)8月27日、高浜虚子は第一回武蔵野探勝会で大国魂神社を訪れた。

 聖武天皇の御世であつたか、もすこし後であつたか、一国に必ず一個の寺を建立し、其の国分寺となづけてといふことがある。其武蔵の国分寺は此の府中の町の中に其跡が残つてをつて礎石も現存してゐるといふことである。又武蔵の國の総社であるところの大国魂神社は今も尚府中の町の中央にあつて、何抱もあるといふやうな大きな木が茂つてゐて、境内が頗る広い。

『武蔵野探勝』(欅並木)

けやき並木へ。

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