2022年東 京

多くの文人たちが住んでいた番町文人通り

 四ツ谷駅から国道20号(新宿通り)を行く。

 麹町通りから大妻通りへ抜ける道が「番町文人通り」である。

多くの文人たちが住んでいた番町文人通り

この番町麹町界隈には明治・大正・昭和にかけて、数多くの作家や芸術家たちが住んでいました。洋画家の有島生馬が『幸田露伴先生が裏の借家を見に来られた時、ここは文人町ですねといって帰られたそうだが(中略)パリー辺なら取りあえず文人町とでも改名される所だ。』と書いているように、ここは「知られざる幻の文人町」でした。

なかでも番町中央通りと番町学園通りとの間に並行して、麹町通りから大妻通りへと抜けるこの道は、まさに「番町文人通り」と呼ぶにふさわしい道筋といえましょう。

路地に入ると、島崎藤村旧居跡があった。

昭和12年(1937年)
島崎藤村旧居跡


島崎藤村(1872〜1943)が昭和12年から6年間ここに住んだ。『巡礼』や『ふるさと』などはここで生まれた。

島崎藤村


番町文人通り今に残る江戸の町割


明治29年(1896年)
有島武郎、有島生馬、里見とん(※「弓」+「享」)旧居跡


白樺派の作家・有島武郎(1878〜1923)をはじめ、有島生馬(1882〜1974)、里見とん(1888〜1983)ら作家兄弟がここで育った。彼らの父が明治29年にここを購入し、自邸とした。

武郎・生馬・とん


大正15年(1926年)
菊池寛旧居跡


芥川賞や直木賞を設立した菊池寛(1888〜1948)が有島武郎の死後、その一部を借り大正15年から1年余り、ここを自宅とし、文藝春秋社を興した。

明治25年(1892年)
明治女学校


註mもと子・野上弥生子ら、先進的な女性を輩出した明治女学校(明治18年〜41年)は、明治25年(1892年)から4年間ここにあった。

明治43年(1910年)
泉鏡花旧居跡


泉鏡花(1873〜1939)が明治43年から死去まで、『婦系図』のモデルであった愛妻すずとここで暮らした。『夜叉ヶ池』や『天守物語』などはここで生まれた。

泉鏡花


明治44年(1911年)
与謝野鉄幹・晶子旧居跡


歌集「みだれ髪」でデビューした情熱の歌人与謝野晶子(1878〜1942)と夫で『明星』を主宰した与謝野鉄幹(1873〜1935)がが明治44年から4年間ここで暮らした。

与謝野晶子・鉄幹


昭和13年(1938年)
串田孫一旧居跡


哲学者・串田孫一(1915〜2005)は人生、山、植物などのテーマでエッセイなどを残した。昭和13年から数年間ここに住んだ。

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