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有島武郎ゆかりの地

 明治11年(1878年)3月4日 、東京小石川(現:文京区)に旧薩摩藩郷士有島武の長男として生まれる。

 明治29年(1896年)9月、有島武郎は札幌農学校予科第五年級に編人学、新渡戸稲造の官舎へ寄寓。

 明治34年(1901年)、キリスト教に入信する。

 明治42年(1909年)、東京にて神尾安子と結婚。

 明治43年(1910年)、武者小路実篤らが創刊した『白樺』の同人となる。

 大正2年(1913年)8月、札幌永住を決意。

 大正5年(1916年)、妻安子と父を亡くす。

 大正6年(1917年)、『カインの末裔』

「カインの末商」文学碑


 大正7年(1918年)、『生れ出づる悩み』

 大正12年(1910年)4月30日、鳥取砂丘に案内される。

 大正12年(1923年)6月9日、『婦人公論』記者・波多野秋子と軽井沢にて自裁した。

午前愛宕下谷氏の病院に徃く。待合室にて偶然新聞紙を見るに、有嶋武郎波多野秋子と輕井澤の別莊にて自殺せし記事あり。一驚を喫す。

『斷腸亭日乘』(大正12年7月8日)

 大正13年(1924年)、武郎が望んだ「相互扶助」の精神によって「有限責任狩太共生農団信用利用組合」(「狩太」はニセコ町の旧称)が設立され、運営される。

有島武郎の肖像のレリーフ

有島武郎邸跡( 北海道虻田郡ニセコ町)

札幌農学校

(北海道札幌市)

有島武郎像

有島記念公園(北海道虻田郡ニセコ町)

「生れ出づる悩み」文学碑

カスペノ岬(北海道岩内郡岩内町)

有島武郎旧居跡

番町文人通り(東京都千代田区)

有島武郎の歌碑


浜坂の遠き砂丘のなかにしてさびしき我を見出でつるかも

鳥取砂丘(鳥取県鳥取市)

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