明治30年(1897年)7月27日、長野県諏訪郡原村に生まれる。 大正12年(1923年)、絵画を学ぶためパリに渡る。アントワーヌ・ブールデルの作品と出会い、彫刻へ転向する。 昭和3年(1928年)、帰国。 昭和4年(1929年)、帝国美術学校(現:武蔵野美術大学)創設に参画。 昭和23年(1948年)、武蔵野美術学校教授。 昭和26年(1951年)、「みどりのリズム」制作。創業50周年記念で大本組社長大本百松は岡山後楽園に「みどりのリズム」の像寄贈。 昭和26年(1951年)11月、松坂屋は上野恩賜公園に「みどりのリズム」の像寄贈。 昭和44年(1969年)、武蔵野美術学園初代学園長に就任。 昭和55年(1980年)、文化功労者。 昭和56年(1981年)5月5日、84歳で死去。 昭和58年(1983年)4月5日、熊谷市役所前に「躍動」の像設置。 平成6年(1994年)10月、株式会社第一勧業銀行(現:株式会社みずほ銀行)は大阪市の御堂筋に「みどりのリズム」の像寄贈。 |
手を組んでダンスをする2人の少女の一瞬のポーズを捉えている。往々にしてダイナミックになりすぎそうな題材を、清水多嘉示は、感情を抑え、厳格な構成による構築的手法で、軽快なリズムに満ちた彫刻に仕上げてみせた。それまでの近代日本彫刻が重要視しなかった構築的彫刻の代表作としても高く評価されている。 |