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町田久成は、天保9年(1838年)薩摩国日置郡石谷領主の町田久長の長男として鹿児島城下に生まれ、町田家29代当主となる。19歳で江戸の昌平坂に学び、文久3年(1863年)26歳で大目付になった。同年に藩の開成所が設立されると学頭となり、慶応元年(1865年)薩摩藩英国留学生を率いて渡英した。帰国後は新政府で外国官判事や外務大丞として外国事務に携わったが、明治3年(1870年)に大学大丞に転じて文化財行政に専念した。明治5年、旧湯島聖堂の大成殿で開催した博覧会を機に「文部省博物館」が発足すると、初代館長に就任し、ただちに文化財を恒常的に保管・展示するための本格的な博物館建設の必要性を太政官に献言し、明治15年、上野寛永寺跡地の新たな博物館開館に至る迄その運営に尽力した。その後明治18年に元老院議官となったが、4年後には職を辞し、岡倉天心やフェノロサなどと共に、園城寺法明院の桜井敬徳和尚に帰依し、園城寺光浄院の住職として文化財の保護に努めた。 明治30年9月13日上野の明王院にて逝去。享年60歳。 |



| 平成館及び前庭の一帯は、明治15年(1882年)に博物館が上野に移転してから、展示棟に付属する事務棟の建物が多く建てられました。この付近には帝室博物館を統括する総長の居室があり、森林太郎(鴎外)は大正6年(1917年)から大正11年に死去するまで、総長としてここで執務しました。 |
