下 町文京区
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菊坂通り〜当地ゆかりの文人達

新宿中央公園から都営地下鉄大江戸線で「本郷三丁目」へ。

菊坂通り


文の京一葉文学のまち


当地ゆかりの文人達

坂口安吾 明治39年〜昭和30年〉 菊富士ホテルで充電後世に出た

大地主の家に生まれたが父の代に没落。代用教員を経て文学の道に入る。優れたエッセイを発表。独特な合理主義に立って伝統的形式美を嫌い実質的な物が美であると主張するが戦前は不遇。戦後(生きよ墜ちよ)と説く堕落論を発表。混乱期の社会に迎えられ一躍流行作家となる。主な作品には日本文化私観、堕落論、白痴、道鏡、安吾巷談など。

坪内逍遥 安政6年〜昭和10年) 近くに住居跡あり

小説家、劇作家、評論家、英文学者、教育家。この坂を200m程下った左手台地上【区立図書館向かい】にあった松山藩の寄宿舎常磐舎に住んでいた。ここには彼を慕う文人達が訪れ門下生として子規、虚子等が下宿していた。模写(写実)こそ最も進歩した文学の姿であると主張した。そして模写すべきは人情であり世態風俗であると主張した。主な作品は小説神髄、当世書生気質、細君など。

佐藤春夫 明治25年〜昭和39年 菊富士ホテル滞在の谷崎潤一郎をしばしば訪問

中学時代から文学を好み荷風を慕って慶応に入る。古風なスタイルの中に近代的知性をしのばせる豊かな抒情詩で注目を集めた。谷崎潤一郎の夫人と結婚後次第に古典への関心を深めた。主な作品は西班牙犬の家、田園の憂鬱、晶子曼陀羅、都会の憂鬱など。

若山牧水 明治18〜昭和3年 この近くに住む啄木を見舞い臨終に立ち会った

歌人。延岡中学を経て早大英文科に進学、同級に北原白秋がいた。平明、自由、清新をモットーに、旅を愛し酒を愛した歌人としてその歌は多くの人に愛唱されている。全国に80を超える歌碑がある。主な歌集には別離、死か芸術か、みなかみ、秋風の歌、山桜の歌、黒松など。

「赤門」へ。

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