2006年下 町

百観音円通寺〜寛永寺の黒門〜

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 都電荒川線の終点三ノ輪橋から国道4号(日光街道)に出ると、南千住警察署入口の手前に百観音円通寺がある。


円通寺(HP)曹洞宗の寺である。

百観音円通寺の屋上に聖観世音像がある。


全長12m。原形は高村光雲作。

百観音円通寺

 延暦10年(791年)、坂上田村麻呂が開創したと伝えられる。また、源義家が奥州を鎮定したとき、討ちとった48人の首を寺域内に埋めて塚を築いたので、このあたりを小塚原とよぶようになったという。

 江戸時代、下谷の広徳寺・入谷の鬼子母神とともに「下谷の三寺」とよばれた。秩父・板東・西国霊場の百体の観音像を安置した観音堂があったことから「百観音」の通称で親しまれたが、安政2年の大地震で倒壊した。

 境内には、石造七重塔、彰義隊士の墓、永仁4年(1296年)銘をはじめとする板碑4基を(区指定文化財)などがある。

荒川区教育委員会

石造七重塔


首塚の上に建っているのが石造七重塔。石塔の台座脇に板碑4基ある。

彰義隊士の墓

 慶応4年(1868年)5月、寛永寺に集結した彰義隊は新政府との激戦の末、上野の山から敗走した。累々と横たわる隊士の遺体を見た円通寺の仏磨和尚は、官許を得て、寛永寺御用商人三河屋幸三郎とともに遺骸を火葬して円通寺に合葬した。

 これが縁となって、明治40年、寛永寺の黒門が円通寺に移された。昭和60年に修復工事が行われている。

荒川区教育委員会

寛永寺の黒門


弾痕が激戦を物語る。

黒門の半分見へ(え)て春の雨

『文化句帖』(文化2年2月)

黒門やかざり手桶の初時雨

『七番日記』(文化11年10月)

金銅子育地蔵尊


 昭和38年(1963年)3月31日、村越吉展ちゃんは台東区下谷で誘拐され、殺害された。

円通寺は遺体の発見現場。

熊野神社へ。

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