若うして死をいそぎたまへる 母上の霊前に 本書を供へまつる |
大正十四年二月、いよいよ出家得度して、肥後の片田舎なる味取観音堂守となつたが、それはまことに山林独住の、しづかといへばしづかな、さびしいと思へばさびしい生活であつた。 |
松はみな枝垂れて南無観世音 松風に明け暮れの鐘撞いて ひさしぶりに掃く垣根の花が咲いてゐる |
大正十五年四月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た。 |
分け入つても分け入つても青い山 |
生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり(修証義)。 |
生死の中の雪ふりしきる 木の葉散る歩きつめる |
昭和二年三年、或は山陽道、或は山陰道、或は四国九州をあてもなくさまよふ。 |
へうへうとして水を味ふ だまつて今日の草鞋穿く ほろほろ酔うて木の葉ふる しぐるるやしぐるる山へ歩み入る |
昭和四年も五年もまた歩きつづけるより外なかつた。あなたこなたと九州地方を流浪したことである。 |
わかれきてつくつくぼうし また見ることもない山が遠ざかる こほろぎに鳴かれてばかり れいろうとして水鳥はつるむ 百舌鳥啼いて身の捨てどころなし どうしようもないわたしが歩いてゐる 涸れきつた川を渡る ぶらさがつてゐる烏瓜は二つ 分け入れば水音 捨てきれない荷物のおもさまへうしろ 岩かげまさしく水が湧いてゐる こんなにうまい水があふれてゐる まつたく雲がない笠をぬぎ 墓がならんでそこまで波がおしよせて 酔うてこほろぎと寝てゐたよ
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うしろすがたのしぐれてゆくか 鉄鉢の中へも霰 |
呼子港 |
朝凪の島を二つおく ふるさとは遠くして木の芽 今日の道のたんぽぽ咲いた |
其中一人 |
雨ふるふるさとははだしであるく いつしか明けてゐる茶の花 落葉ふる奥ふかく御仏を観る |
山行水行 |
山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 春夏秋冬 あしたもよろし ゆふべもよろし |
炎天かくすところなく水のながれくる 日ざかりのお地蔵さまの顔がにこにこ お彼岸のお彼岸花をみほとけに てふてふうらからおもてへひらひら |
行乞途上 |
春風の鉢の子一つ |
千人風呂 |
ちんぽこもおそそも湧いてあふれる湯 うれしいこともかなしいことも草しげる ひとりひつそり竹の子竹になる ふるさとの水をのみ水をあび |
旅から旅へ |
木曾路 三句 |
飲みたい水が音たててゐた 山ふかく蕗のとうなら咲いてゐる 山しづかなれば笠をぬぐ |
雑草風景 空へ若竹のなやみなし |
宇治平等院 三句 |
雲のゆききも栄華のあとの水ひかる 風の扉ひらけば南無阿弥陀仏 うららかな鐘を撞かうよ |
伊勢神宮 |
たふとさはましろなる鶏 |
浜名湖 |
春の海のどこからともなく漕いでくる 鎌倉はよい松の木の月が出た 伊豆はあたたかく野宿によろしい波音も また一枚ぬぎすてる旅から旅 ほつと月がある東京に来てゐる 花が葉になる東京よさようなら |
甲信国境 |
行き暮れてなんとここらの水のうまさは のんびり尿する草の芽だらけ |
信濃路 |
あるけばかつこういそげばかつこう からまつ落葉まどろめばふるさとの夢 |
毛越寺 |
草のしげるや礎石ところどころのたまり水 |
平泉 |
ここまでを来し水飲んで去る |
永平寺 三句 |
水音のたえずして御仏とあり てふてふひらひらいらかをこえた 法堂(ハツタウ)あけはなつ明けはなれてゐる |
庵中独坐 |
こころおちつけば水の音 ひらひら蝶はうたへない 風の明暗をたどる |
孤寒 |
草は咲くがままのてふてふ 風の中おのれを責めつつ歩く |
母の四十七回忌 |
うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする |
福沢先生旧邸 |
その土蔵はそのままに青木の実 |
湯田名所 |
大橋小橋ほうたるほたる このみちをたどるほかない草のふかくも うまれた家はあとかたもないほうたる |