2019年高 知

琴ヶ浜遊歩道〜高浜虚子の句碑〜
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芸西村琴ヶ浜に琴ヶ浜遊歩道がある。

 昭和6年(1931年)4月3日、高浜虚子は室戸岬へ行く途中、琴ヶ浜に立ち寄ったそうだ。

琴ヶ浜遊歩道に高浜虚子の句碑があった。


春潮の騒ぎて網を曳くところ

平成2年(1990年)春、芸西村文化推進協議会・村史の会・琴洋句会建立。

琴ヶ浜


霞んでいる。

「お龍君枝姉妹像」があった。


平成5年(1993年)3月、建立。

お龍、君枝の銅像の言葉

 坂本龍馬の妻お龍と、海援隊士菅野覚兵衛の妻君枝(起美)の姉妹の像が建った由緒について記す。お龍は京都の医師楢崎将作の長女であり、菅野覚兵衛(千屋寅之助)は現芸西村和食の庄屋の出で、その妻君枝は将作の三女である。すなわちのお龍の実妹であった。

 お龍は龍馬を失ったあと、明治元年から1年余り、妹の嫁ぎ先千屋家に身を寄せた。この琴ヶ浜にお龍と君枝の像を建てて追善し、併せて義兄弟の龍馬と覚兵衛の2人を記念したいという、芸西村の人たちの温かい気持が実ってこの姉妹の像となった。

 お龍は伏見寺田屋で龍馬の危機を救い、亀山社中、海援隊と奔走する龍馬を助け、時代に先がけた新しい女性として夫のために献身した。龍馬はお龍の妹君枝を気づかい、菅野覚兵衛とめあわせることを望んでいた。龍馬の没後の慶応4年、覚兵衛と君枝は長崎で結婚した。16歳の花嫁であった。

 お龍の墓は横須賀市の信楽寺に、君枝の墓は東京都港区南麻布の光淋寺にある。松籍と潮音の響く景勝の琴ヶ浜に、数奇な運命の姉妹の魂が相寄って立つ光景は、多くの人々に深い感銘を与えることであろう。

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