2010年京 都

「寺田屋」〜坂本龍馬〜
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京都市伏見区南浜町に「寺田屋」があるというので、行ってみた。


「黄桜」本社


NHK大河ドラマ『龍馬伝』で、人が多い。

「寺田屋」


寺田屋騒動趾

 文久2年(1862年)4月、尊王攘夷派の先鋒であった薩摩藩士9名が殺傷されるという明治維新史上有名な寺田屋騒動が起こった所である。

 当時、薩摩藩には藩主の父島津久光を中心とする公武合体を奉ずる穏和派と、勤王倒幕を主張する急進派との2派があったが、久光は急進派の動きを押さえようとして、兵千余名を率い京都へ入洛せんとした。 これを知った有馬新七ら30余名の急進派同志は、文久2年(1862年)4月23日、関白九条尚忠、所司代酒井忠義を殺害すべく、薩摩藩の船宿であった寺田屋伊助方に集まった。これを知った久光は藩士奈良原ら8名を派遣し、新七らの計画を断念さすべく説得に務めたが失敗、遂に乱闘となり、新七ら7名が斬られ、2名が重傷を負い、翌日切腹した。

 後ろの広場にある殉難碑は、明治27年(1894年)の建立で、有栖川宮熾仁(たるひと)親王の筆になる篆額を掲げる。

京都市

坂本龍馬先生


世の人はわれを何とも言はゞいへわがなすことは我のみぞしる

 慶応2年(1866年)1月23日(3月9日)、寺田屋に宿泊していた坂本龍馬は伏見奉行に襲撃され、九死に一生を得た。

 その後、龍馬は鹿児島に脱出し、塩浸温泉で湯治をしながら潜伏する。

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