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明治21年高松市に生まれ、香川県立高松中学校卒業、大正5年京都大学英文科卒業。中央公論に”無名作家の日記”を発表して作家生活に入り、文藝春秋を創刊します。 “藤十郎の恋”“忠直卿行状記”“父帰る”“義民甚兵衛”“屋上の狂人”等多くの作品を残し、昭和23年61歳で死去。 |
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菊池寛、逝く。……告別式にて 花にまが間のある雨に濡れにけり |

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昭和31年(1956年)10月24日、菊池寛顕彰会建立。新田藤太郎制作。 昭和31年(1956年)11月、「隈本先生」の像建立。 昭和55年(1980年)4月16日、新田藤太郎は92歳で死去。 |

| 水原茂・三原脩は終生相対峙し、数々の名ドラマを演じ、我国野球史に栄光の足跡を印刻する。往いて再び帰らぬ往年の両雄の功績を讃え、ここ高松球場跡地に銅像を建立する。 |
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高松市に生まる。旧制高松商業学校時代、全国優勝2回、慶応大学時代、優勝5回。投手・三塁手として、学生野球の黄金時代を築く。プロ野球巨人に入団、俊敏、強肩の名三塁手として活躍した天才的スタープレーヤー。巨人・東映・中日の各球団監督を歴任し、洗練された誇り高き勇将として名声を博す。1977年野球殿堂入り。 |
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満濃町に生まる。旧制高松中学校時代遊撃手で甲子園に出場、早稲田大学に進み、二塁手となり、1年から、レギュラーとして活躍。プロ野球第1号選手として契約、巨人に入団。現役引退後、再び巨人を始め西鉄・大洋・近鉄・ヤクルトの各球団監督を歴任し、作戦統率の妙に優れた知将として、名声を博す。1983年、野球殿堂入り。 |

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このブロンズ像は、郷土高松の生んだ文豪菊池寛の代表作「父帰る」の一場面を表したものである。 明治40年ごろ、南海道の海岸にある小都会。長男賢一郎、その弟新二郎、妹おたね、そして母親のおたか、家族そろって和やかな夕飯のひととき。 そこへ、20年前に不義理な借金を残して家出した父宗太郎が帰ってくる。許しを請う父親を、賢一郎は拒み、母親とおたねは泣きくずれる。悄然と出て行く父を新二郎は引き止めようとするが・・・。 (戯曲「父帰る」は大正6年1月発表。市川猿之助らによって上演され、いっそう名声を博した。) |
