明治21年高松市に生まれ、香川県立高松中学校卒業、大正5年京都大学英文科卒業。中央公論に”無名作家の日記”を発表して作家生活に入り、文藝春秋を創刊します。 “藤十郎の恋”“忠直卿行状記”“父帰る”“義民甚兵衛”“屋上の狂人”等多くの作品を残し、昭和23年61歳で死去。 |
菊池寛、逝く。……告別式にて 花にまが間のある雨に濡れにけり |
『恩讐の彼方に』は耶馬渓にあった交通の難所に青の洞門を開削した禅海の話である。 |
水原茂・三原脩は終生相対峙し、数々の名ドラマを演じ、我国野球史に栄光の足跡を印刻する。往いて再び帰らぬ往年の両雄の功績を讃え、ここ高松球場跡地に銅像を建立する。 |
高松市に生まる。旧制高松商業学校時代、全国優勝2回、慶応大学時代、優勝5回。投手・三塁手として、学生野球の黄金時代を築く。プロ野球巨人に入団、俊敏、強肩の名三塁手として活躍した天才的スタープレーヤー。巨人・東映・中日の各球団監督を歴任し、洗練された誇り高き勇将として名声を博す。1977年野球殿堂入り。 |
満濃町に生まる。旧制高松中学校時代遊撃手で甲子園に出場、早稲田大学に進み、二塁手となり、1年から、レギュラーとして活躍。プロ野球第1号選手として契約、巨人に入団。現役引退後、再び巨人を始め西鉄・大洋・近鉄・ヤクルトの各球団監督を歴任し、作戦統率の妙に優れた知将として、名声を博す。1983年、野球殿堂入り。 |
このブロンズ像は、郷土高松の生んだ文豪菊池寛の代表作「父帰る」の一場面を表したものである。 明治40年ごろ、南海道の海岸にある小都会。長男賢一郎、その弟新二郎、妹おたね、そして母親のおたか、家族そろって和やかな夕飯のひととき。 そこへ、20年前に不義理な借金を残して家出した父宗太郎が帰ってくる。許しを請う父親を、賢一郎は拒み、母親とおたねは泣きくずれる。悄然と出て行く父を新二郎は引き止めようとするが・・・。 (戯曲「父帰る」は大正6年1月発表。市川猿之助らによって上演され、いっそう名声を博した。) |