須磨には、年かへりて日長くつれづれなるに、植ゑし若木の桜ほのかに咲きそめて、空のけしきうららかなるに、よろづのこと思し出でられて、うち泣きたまふをり多かり。二月二十日あまり、去にし年、京を別れし時、心苦しかりし人々の御ありさまなどいと恋しく、南殿の桜は盛りになりぬらん、一年の花の宴に、院の御気色、内裏の上のいときよらになまめいて、わが作れる句を誦じたまひしも、思ひ出できこえたまふ。
『源氏物語』(須磨) |
ひとすちに 心こめたる ことなれば ちよのしらへも たえしとそ想ふ |
須磨寺や ふかぬ 笛きく 木下闇 |
稲妻のひと夜 冷やして すまの海 |
月すみて 松風すみて 須磨の浦 |
大和田健樹作詞
田村虎蔵 作曲 一の谷のいくさに破れ うたれし平家の 公達あわれ 暁寒き 須磨の嵐に 聞こえしはこれか 青葉の笛 |
公達の 血のりを秘めて 七百年 水静かなり 須磨寺の池 |
寿永3年(1184年)2月7日、一ノ谷合戦の際、源氏の荒武者熊谷直実は、海上に馬を乗り入れ沖へ逃がれようとする無官太夫平の敦盛を呼び返して須磨の浜辺に汲み討ち、その首をはねた。平家物語が伝える最も美しく、最も哀しい、有名な史話である。 敦盛は時に年16、笛の名手であった。その遺愛の青葉ノ笛は、今も当寺に伝えられている。 |
須磨寺にて 笛の音に波もより来る須磨の秋 |
明滅の ひかりをおくる灯台は いつこにあらむ寂しき海原 |