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元禄2年(1689年)6月8日(陽暦7月24日)、芭蕉は羽黒山から月山に向かった。 |
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『奥の細道』 |
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〇六日 天気吉。登山。三リ、強清水、ニリ、平清水(ヒラシミツ)、ニリ、高清(高清水)、是迄馬足叶。道人家小ヤガケ也。彌陀原コヤ有。中食ス。是ヨリフダラ、ニゴリ沢、御浜ナドヽ云ヘカケル也。難所成。御田有。行者戻リ、こや有。申ノ上尅、月山ニ至。先、御室ヲ拝シテ、角兵衛小ヤニ至ル。雲晴テ来光ナシ。夕ニハ東ニ、旦ニハ西ニ有由也。
『曽良随行日記』 |
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八合目の駐車場から月山登山口まで、20分。そこから山頂まで約2時間30分から3時間。 |

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元禄9年(1696年)、天野桃隣は月山に詣でる。 |
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湯殿山へ登るに、麓は青天、山は雨、漸(やうやう)月山ニ詣て、雪の巓牛が首と云岨に一宿。 |
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享保元年(1716年)7月15日、稲津祇空は常盤潭北と奥羽行脚。月山に登る。 |
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十五日天清、東水、呂笳先達として月山へのほる。この山諸山に甲たり。山谷草樹凡ならす、他にこと也。落日に来迎を拝す。稀々なる事のよし、いとゝ心すミて石室にとまる。山上の残雪ところところにありて肌粟をたゝす。妙浄坊青岫とふらひたまひ、あすの先達を約す。 |
| 月雪の中元にして山きよし |
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| 念仏に出てうつくしや峯の月 | 北 |
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延享4年(1747年)、横田柳几は陸奥を行脚して湯殿山から月山に登る。 |
| 月山 |
| 笹小屋といふ所に臥て殊更に草臥ぬれは爰に奉納の句なし |
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寛政3年(1791年)5月13日、鶴田卓池は月山を下り羽黒山に泊まる。 |
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月山ノ頂ヨリ羽ぐろ山を九里ト云 雪多くいまだ笹室 一つも作らず 此日行人ノ外ハ人ニ不逢 雪ヲふむこと凡七里斗 されど翁ノ細道に書き給ふ山ノさくらハ蕾もちて如月半の□し 羽黒山麓ニ宿ル
『奥羽記行』(自筆稿本) |
| 大正14年(1925年)8月20日、荻原井泉水は弥陀ヶ原の小屋に泊り、月山に登った。 |
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石道はいつか又広い草原の中に出ていた。そこに小屋があった。八合目、御田の原である。私達はそこの小屋に宿を乞うこととした。一日負うて歩いた笠と茣蓙とを身から離すと、ホッとした。
『随筆芭蕉』(月山に登る) |
| 昭和33年(1958年)7月、加藤楸邨は弥陀ヶ原から月山に登った。 |
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弥陀ヶ原に立つと先ず体景に目を奪われる。石を踏む道が一本うねうねと高原状の台地を貫いてその果は正面の嶺の肩にかくれる。嶺の彼方には同じような円味を帯びた嶺がつぎつぎとあらわれる。真青な空が垂れて、嶺の彼方から折々思いもよらぬ雲の峯がもりあがってくる。真白なかがやきに目をとられていると、それが青空に崩れてまた青い空がのこる。歩いてゆく中にこうして幾つかの雲の峰が生れては崩れてゆく。 雲の峯いくつくつれて月の山 という感じである。
『奥の細道吟行』・下 |
