芭蕉の句碑
『奥の細道』
夏山に足駄を拝む首途(かどで)哉
明王寺から修験光明寺跡へ。
芭蕉の句碑がある。
夏山に足駄を拝む首途哉
「夏山に足駄を拝む首途哉」の句碑は黒羽城址公園の入り口にもあった。「芭蕉の里くろばね案内図」と照合すると、黒羽城址公園の入り口にあったのも文学碑なのだろう。
光明寺は、文治2年(1186年)に那須与一が阿弥陀仏を勧請して建立したが、その後久しくに廃絶。永正年間(1504〜1521年)津田源弘により修験堂として再興された。
芭蕉が修験光明寺に招かれたのは、4月9日(新暦5月27日)のこと。
一 六日ヨリ九日迄、
雨不止。九日、光明寺ヘ被招。昼ヨリ夜五ツ過迄ニシテ帰ル。
『曽良随行日記』
当時は第7代津田源光権大僧都で、妻は鹿子畑(かのこはた)左内の娘なので、翠桃が口添えをしたのであろうと書いてあった。