栗庵似鳩

『信濃紀行』


 寛政4年(1792年)10月5日、信濃に旅立つ。福島の関に入り引き返す。12月5日、帰る。

紅葉せり風に吹るゝ岸根草
 小保方 詠帰



   捨果て身はなき物と思へとも
   雪の降日ハ寒ふこそあれ

首途する我身に寒し初時雨
 似鳩

是より道急きて本庄駅に出て、武政一馬子か瓢庵に雨具取て一泊、風談の暇あれは、傘・木履なんとかりて○安養院に詣、釣牛禅師の快く主饗ありて興して帰る。道すから帯屋或は望田李明なとを尋て夕方瓢庵に帰て、夜更る迄風談す。此霄釣牛和尚使僧をもて、こんふ、白かねなとに文添て餞別せらる。末に

   略詞書

ちる楓紅葉といふて別れけり
   釣牛

雪の度心をあれや京参り
   ゝ

見送りの跡や庵の時雨月
   ゝ

翌ハ文のかへし申てんと使僧は返し申き

斯いゝつゝ程なく八幡山に着ぬ。先○松村支考を訪て暫く休む。此日行脚眉山いまた逗留にて、午頂氏に俳諧有とそ、うらやましくハ侍れと、爰に止て遊ふにもあらしと○中村蝶飛を尋ね○午頂涼化へ立寄、眉山にも逢ひて都への伝なと諾して、早々に別れて藤岡の方へ趣く。

是より坂にかゝりて、此の難所伝の嶮岨、半過て刎石の茶屋に休むに、彼今朝より道行人の待合ていさ是よりハ道も平か也、噺もて行て我宿へも寄せんとそ、是にて御師なる知りぬ、されと名乗なは留杖障せん事ハ、此峠にも風雅の道弘かりて、かねてハ可参由の伝もあれは、弥々事に寄て跡に下りぬ。

木々皆かれて誠碓氷の峠かな
 似鳩

追分の駅に至る、我国境町艸鼓といふ人、此駅に翁塚立たりと申けれは、なつかしくて心掛侍るに、終に見はつして駅をはなれたりけれ

浅間根の石はいつこに白雪そ
   似鳩

凩は雪ハ飛さし艸かくれ
   ゝ

追分宿本陣門(裏門)


是より□輪の里伝ひに高島の城下に付ぬ。夕部近けれは何某李梁亭を訪ふ。年歳(としどし)行脚の杖を廿年斗、家うち人の厚情をかさねてあたかも親属にひとし。やれ足の湯まいらせ、先寒かりなん巨(炬)燵に入よと、浅からぬ饗に旅の労を忘るゝ斗也。此夜ハ労たらんとて俳諧を言ハす、誰かれ二三子の来れるを友として風談、夜半頃退散、寝酒一宴の饗、且つ素檗子か慈父蓼阿老人一昨年死去の由、誠ニ夢の思ひこゝにせらる。何事も明日と走斗に小座敷へ入て臥しぬ。此夜より雨頻りに降出ぬ。翌の歩行心もとなし。

高島城


十八日 雪降。暁天より止テ曇天。午後過ヨリ快晴。

軒の玉水の音、門前の落水聞て眠りて、夜明て後起出ぬ。面を清め口嗽て、仏間に入て先蓼阿老人の霊ニ伺ふ。

      寛政二戌天
   霊誉感光蓼阿比丘
      八月十日

誠ニ此亭ニ此老人の舎りをゆるし給ひて二十年近く、来る度毎浅からぬ詞の忝く、厚き賜限りなき事とも思ひつゝけて、更に言へき詞なく只涙をしのふのミ。

主人は此せつ無人故の取込と申、殊土蔵の普請最中にて取込なり、幸の事にして心静に日記を認む、又徒然ならむとて、名護屋の士朗か多度の楽書集を見せる。其中に

      落葉川と申ハ貞享頃みのゝ木因の芭蕉翁に
      して楽書する所也
      武州深川の隠士芭蕉翁
      濃州大垣の市人谷九兵衛
      勢尾回国の商人四季をりおりの句召れ候へ

伊セ人の発句すくわん落葉川
   木因

宮人よ我名をちらせ落葉川
   芭蕉

      此句ハ前の落書を厭ての吟なるよし

楽書日記と題せし小冊也、其中に半哥仙の附合あり、則

   亀六亭投宿

楽書を見に行花の旅寝かな
  士朗

小舟を洗ふ青柳の月
   亀六

されと此事を無沙汰にして遠慮なく俳諧せよとなり、めいわくなから主の心黙止かたくて俳諧に及ふ

妹許や衣桁にかけし雪の庵
  似鳩

此ともし火を冬の媒
   云門

折々に物の一重に牛吼て
   青衣

めつらしい程雲の立けり
   呂利

わたましの酒荷ひ来る夕月夜
   若人

今昼ニ至て諏訪何某殿の高島の城下ニ遊テ二時庵自徳子を訪ふ、旧識なりけれは薄履の儘時を移して語る、主の吟あり

   混 雑

賑かに早乙女渡る野川かな
   二時庵 自徳

郷原の宿に出て、先何某美濃屋といふを尋ねて、露白老人の安否を訪ふ、今ハ四年跡八月廿日死去の由、予も其歳の五月六月の間、此地に瘧を病て廿日斗人々の荷恩を蒙る、其砌いまた此老人健箇にして、病苦いたわり給ひしかいにそや、今黄泉の客と成て、霜雪にのミ俤を残す事を

昔語る声たに枯て風寒し
 似鳩

今霄ハ一泊せよ、二親のむかし今も隔しなやと聞て又しなやと聞て又涙を落すのミなりき

      日暮郷福寺に詣す焚音のひゝき誦経の
      声只こゝろ清浄の懐深し

人さらに松も柏も雪仏
 似鳩

今霄は此寺に一泊をゆるさる、されと院主は法用の為に壇(ママ)家へ出給へは能化の饗給へる、酒を飲ミ夕飯を過して客殿に入て臥、仍之院主の返りを知らす

○山岡春鶴老人を問ふて老夫婦と語るに、五尺庵露白老人の亡跡を語る

 五尺庵露白老人
      寛政元酉天
   円誉露白岳翁居士
      八月廿一日 行年七十四才

譴訓或ハ在世の事を語て泣くのミ、将主人其鶴老人も去年落髪也、生前の悦ひ是にしかす

世の中の落葉しまへは罪もなし
   似鳩

平沢の町端諏訪の社の山根に翁塚あり。此前の茶店に初女といふ者俳諧ニ志有て、累年の往来の節ハ足を休む家と心得て立寄りしか、此人ハその商を止てかくれたる由、門前なから一宴して出るに、隣の店より立寄と声かけぬ。是も一宴の名染故立寄侍るに、かの翁塚の句帖を出す。則筆を染遺ス中酒出しぬ。無拠三盃を傾く。大ニ酩酊して平沢宿に至りて○万屋十右衛門との眉山亭を訪ふニ、今霄ハ家主をせんとなり。幸に一泊す。

斯くて福島の城下近くなる頃、牛方の牛十斗り乗連来るを除るとて、山根によりて木の枝を便(ママ)とす。あやにくに其木の枝の折て転ふのミならす、石にて顋を打て唇破れ、歯を内様ニゆかミ入て紅井の水を流す。かゝるくるしき中に急かしく馬乗来りて、はやくあゆめ、福島の関の戸や閉し頃なりと。是に心取直して行に、御城の方に晩鐘の響出たる、又心せかるれ

心細し雪の関屋にくれの鐘
   似鳩

   御城遠望

雪積て愛度城の甍かな
   ゝ

斯て関の戸閉す頃漸々走付て無難に通りぬ。城下の町ハ薄くれ時にて、旅籠屋もみな閉たる中に、いかに旅人宿かさんといふ声のうれしくて、取あへすやとりを求む。家は○丸屋又四郎といひていふせからねは、旅籠の料も百廿二銅に定ぬ。相客ハみの尾張の商人四五人にて、夜すからかけ物勝負をする物音、枕にひゝきて眠らす。いと物くるし。

十九日 大雪 四尺斗積る 夜ニ入テ雨

けふハ和田峠越んといまた夜明さるに温泉に入。朝飯を認め出るに、雪ちらちら降り出ぬ。斯て峠越し覚束なければ、先此宿の旅籠の料三百銅、外ニ洗濯ちん百銅払て、万一大雪ならは留給へと言置て出る○暮良庵久輔老人を訪ふ。幸に在庵故、暫く語りて別る。○素檗亭へ先月中の礼に立寄けるに、此雪にいかてやるへき、将○尾陽の斗入坊留杖也、是非にとゝまれと也。誠に玄室子にも十歳斗り面せされは、物なつかしきに、はや我声を聞て、老僧いかに坐て有やといふ。互に面向ひして泣ぬ。是より主人の酒携てこもり居の閑亭に俳諧を始むといへとも、物語りのミにて俳諧ハ満尾せす。

廿一日 朝小雪降て止ぬ 曇天

朝疾起てけるに空のもやう定かならす、夕暮かけて下の諏訪泊りして、翌の朝山越んと思ひ定ぬ○松本の客ハ退屈して雪踏して帰らる。予と斗入子とハ、又閑亭に往時を語て午時過ぬ○若人子入来、主人のいふ、夕部迄降りたる雪いかて和田峠の道明なん、けふは落付て語れよと切に止め給へは、又其言に隨ふ。若人子のいふ、徒に過んよりは表斗なといひ出るより、又俳諧を始む

鴫啼や江ハ水色にあらし吹
  似鳩

月の行衛を氷る我影
   斗入

梅柳伏屋住居に春の来て
   若人

斯て板鼻宿にかゝる。鷹巣山は年頃行かよひて詠めふしたれは句なし。駅中此音を聞く

   三味線の駒さへ師走始めかな

是より高崎の城下に至る。此地又前心に等しく詠捨て○平花庵の旧家をとひ、東都の無事を聞き、又和栄を問て、東都春秋か安否を訪ふに、子息なる人ハ、主ハ近在に出たりと申、内室は江戸へ行たりとか、詞の揃たるも予か卑賤のあやしむ物ならし、是より清水の観世音に詣して岩崎へ越ゆる。此間山道二里と申。此間さらに同行ハなし

雪道や鹿の足跡犬の跡
  似鳩

本庄宿李明亭へ音信ス○帯屋を問ふに寒さ凌と又酒饗ル○武正一馬子を訪ふに他行にて不逢、令室ハ病気也、仍之申置て出行○大正院を訪て止宿。夜風談雑談のミにて風流なし

寒行や雪踏分て小山伏
  似鳩

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