十月十四日午前六時沼津發、東京通過、其處よりM―、K―、の兩青年を伴ひ、夜八時信州北佐久郡御代田驛に汽車を降りた。同郡郡役所所在地岩村田町に在る佐久新聞社主催短歌會に出席せんためである。驛にはS―、O―、兩君が新聞社の人と自動車で出迎へてゐた。大勢それに乘つて岩村田町に向ふ。高原の闇を吹く風がひしひしと顏に當る。佐久ホテルへ投宿。
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16日、牧水は「佐久の鯉」を詠んでいる。

みすずかる信濃の國は山の國
| 海の魚なくて鯉があるばかり
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その鯉の味の強きは一日うまく
| 二日まだよく三日に飽きにけり
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信濃なる鯉のうちにも佐久の鯉
| 先づ喰ひてみよと強ひられにけり
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なるほどうまきこの鯉佐久の鯉
| ほどほどに喰はばなほうまからむ
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牧水は軽便鉄道で小諸へ。
牧水が泊まった部屋は、その面影を残したまま客室として使用されている。

床の間には掛け軸が飾られていた。

うす紅に葉はいち早く萌えいでて咲かむとすなり山ざくら花
大正11年(1922年)、湯ヶ島温泉「湯本館」に滞在中に詠まれた歌である。第14歌集『山桜の歌』(大正12年5月刊)に収録されている。
大正14年(1925年)4月18日、岩村田に着き、「佐久ホテル」に投宿。佐久地方で揮毫行脚。
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岸野小学校で揮毫している。
若山牧水ばかりではなく、多くの文人が「佐久ホテル」に泊まっている。
明治31年(1898年)、島崎藤村宿泊。
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明治40年(1907年)、柳田国男宿泊。
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大正10年(1921年)、北原白秋逗留。
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昭和5年(1930年)、荻原井泉水逗留。
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「佐久ホテル」の入口に荻原井泉水の小さな句碑があった。

和羅那布流遊幾通毛留
(わらやふるゆきつもる)
昭和10年(1935年)11月29日、小海線全通。
昭和11年(1936年)5月9日、種田山頭火は小渕沢から小海駅まで歩き、小海駅からは汽車で岩村田まで。
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海ノ口からまた歩いて海尻、そしてやうやく小海駅、こゝでルンペン君に別れる、汽車は千曲川に沿うて下りやがて岩村田町、江畔老の無相庵に客となる、家内中で待つてゐて下さつた、涙ぐましくもうれしかつた。
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江畔老は関口江畔。本名、毛佐松。
慶応元年(1865年)1月9日、長野県北佐久郡平根村に生まれる。
大正12年(1923年)、若山牧水の門に入り、のち荻原井泉水に師事。
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昭和29年(1954年)9月12日、没。
佐久酒造組合へ。
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