「もうこの温かい尾張の国では桜も過ぎてしまったが、あの木曾は山國だから、四月が花のさかりのはずで、いつか四月の桜を見たことがなつかしく思い出される。」という意。
発想の仕方は、尾張あたりの桜が散りすぎてしまって、何やら淡い寂しさが湧き、その淡い寂しさの中に、桜がまだ咲いているであろうと思われる木曾が思い出されて来たものであると思う。『幽蘭集』の「おもひ立つ」は、その心を一歩進め木曾の旅を志す表現となっている。
芭蕉庵類焼により、天和二年(一八六二)末から翌三年五月に至る間、芭蕉は甲州の高山麋塒の許に難を避け、「馬ぼくぼく我を絵に見る夏野かな」という吟もあったが、そのころ木曾に遊び、「四月の桜狩」をしたこともあったものと思われる。「思ひ出す」は、その時のことを心に置いて、木曾への旅心がきざしていることをいったものである。
『皺筥物語』(「翁これより木曽に趣き、深川に帰り給ふとて」と前書)・『熱田三歌仙』(「木曽を経て武の深川へくだるとて」と前書)に脇句を伴って所出、脇句は「京の杖つく岨の青麦―東藤」。『幽蘭集』には上五「おもひ立つ」とあり、連句は十二句目までを掲出、脇句の下七は「岨の夏麦」とある。発句を夏とすれば、この脇句の方がよい。あるいは発句も『幽蘭集』の方が成稿のかたちを伝えるか。貞亨二年旅中の作。
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明治19年(1886年)4月、麻衣社中建立。
これは茲の茶屋に翁自筆の短冊が傳えられていたのを其當時の福島の俳人が珍重すべき事に思つて有志によつて建立せられたものである。
『木曽福島町史』(第一巻) |
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