芭蕉の句
雪散るや穂屋の薄の刈り残し
出典は『猿蓑』。
『蕉翁句集』(土芳編)は「貞享五辰ノとし」とする。
「信濃路を過ぐるに」と前書きがあるが、芭蕉は冬の信濃路を旅してはいない
と云句をなし給ふ。然れども翌年、奥のほそ道に去年の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣をはらひといふ詞あれば、疑なく八九月の頃、深川に歸庵せられしなるべし。信濃を過のはし書は儲て書たまひしものか。
『芭蕉句鑑』には「天和元より三迄の春の部」に収録されている。
深川草庵焼亡甲州遊行
信濃を過るとて
雪散るや穗屋の芒の刈殘し
天和2年(1682年)12月28日、芭蕉庵焼失。
諏訪大社下社大祝金刺盛久の歌がある。
尾花ふく穂屋のめぐりのひとむらにしばし里あり秋の御射山
信濃路を過る
雪散るや穂屋の薄の刈り残し
信州諏訪明神御射山祭七月廿七日也、すゝきの穂をもつて御仮屋を造り、小鳥を狩て神贄にそなふ。依て穂屋の神事ともいへり。古哥多し「尾花ふくほやのあたりの一むらハしハし里ある秋のミさやま」「霜さゆる山田の畔のむらすゝき苅人なしに残る比かな」苅残しの詞よく此哥の心にかなひて哀ふかし
落合発電所の句碑
御射山社の句碑
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