顔も知らぬ父苅萱上人を訪ねて高野山に登った幼い石童丸が無明の橋にて父上人と対面した情景を銅像にしたもの。 親子の対面を果たしながら、父は子に親であることを告げない。 |
出典は『猿蓑』。元禄3年、芭蕉48歳の時の句。『蕉翁句集』(土芳編)には「貞享五辰ノとし」とある。 |
昭和11年(1936年)5月28日、種田山頭火は西光寺へ詣でている。 |
三人同道して長野見物―― まづ西光寺(刈萱親子地蔵尊)へ詣でる、父寂照坊母千里御前、そのまんなかに道念坊の墓がある、それから美篶(ミスズ)橋上に立つ、白根山四阿山のすがたもよろしい。 |