旅のあれこれ
前田利家ゆかりの地
天正9年(1581年)8月、前田利家は織田信長より能登一国を与えられる。 天正10年(1582年)正月より小丸山城を築城。 天正11年(1583年)4月21日、前田利家は賤ヶ岳の戦いで戦線を離脱する。 天正11年(1583年)、佐々成政が魚津城を攻略し、支城とする。 天正15年(1583年)、佐々成政は熊本城に移り、魚津城は前田利家の属城になる。 天正16年(1588年)、高山右近は前田利家に招かれて加賀国金沢に赴き、そこで1万5,000石の扶持を受けて暮らした。 天正18年(1590年)、前田利家は上野国方面から北関東に侵攻。 慶長4年(1599年)閏3月3日、没。 |
天正11年(1583年)、前田利長は豊臣秀吉より松任4万石を与えられ越前国府中より入城。 慶長5年(1600年)8月3日、前田利長は大聖寺領主山口玄蕃頭宗永を攻める。 慶長5年(1600年)、徳川家康より松任4万石が加増される。 慶長10年(1605年)、金沢城を利常に譲り、富山城に移り住み隠居城とした。 慶長14年(1609年)3月、富山城が焼失したため、利長は高岡城を築いて移る。 慶長19年(1614年)、翌年発令される一国一城令に先んじて松任城を廃城とする。 慶長19年(1614年)5月20日、利長は高岡城で病死。享年53。 |
寛永16年(1639年)、一国一城令の例外として前田利常に隠居地として小松で居城を認め、併せて城修築を特に許可した。 |