明治22年(1889年)6月23日、兵庫県龍野市龍野町上霞城101番地に父三木節次郎、母かたの長男として生まれる。幼名操。 |
明治28年(1895年)2月、母かたは節次郎と離婚。操と別れ勉と鳥取へ帰る。祖父の元に引き取られて育てられた。 明治42年(1909年)9月、詩集「廃園」刊行。 大正2年(1913年)9月、「白き手の猟人」刊行。 大正9年(1920年)5月、トラピスト修道院の文学講師として居住。 大正10年(1921年)、「赤とんぼ」作詩。 大正11年(1922年)、キリストの復活祭に夫人と受洗した。 昭和2年(1927年)、山田耕作「赤とんぼ」作曲。 昭和15年(1940年)11月、如来寺に展墓。 昭和39年(1964年)12月21日、東京三鷹市で交通事故に遭い、同29日死去、カトリック吉祥寺教会で葬儀。享年75才、法名穐雲院赤蛉露居士。 昭和40年(1965年)1月16日、勲四等瑞宝章を追贈。 昭和40年(1965年)5月、龍野観光協会は「赤とんぼの碑」を建立。 昭和41年(1966年)、たつの市の如来寺の境内に筆塚と歌碑を造る。 平成元年(1989年)6月23日、たつの市の文学の小径に三木露風立像除幕。 |