2022年兵 庫

聚遠亭〜碑巡り〜
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文学の小径から聚遠亭へ。

 聚遠亭は、前庭からの展望絶景をたたえて「聚遠亭」という名付けられ、その扁額が茶室にかかげてある。

 茶室は、江戸時代末期の建築。書院造を加味した風雅な数奇屋風の建物で、心字池上の浮堂として、庭園、池、杉垣などとよく調和している。

 亭内の北東に位置する藩主の「御涼所」は18世紀後半に建てられ、茶室建築時を始め数回の増改築がなされたと考えられる。質素勤倹のなかにも雅趣のある接客、居住部門などの間取りや意匠、構造に特徴があり、また床下の抜け穴などにも当時の面影が残っている。

 池のほとりには、龍野が生んだ詩人、三木露風の「ふるさとの」詩碑や、井原西鶴の句碑などが建っている。

たつの市教育委員会

聚遠亭に入ると、野村泊月の句碑があった。


春水の上の障子のあきにけり

作者野村泊月は高浜虚子の高弟で丹波竹田の生れ、西山泊雲の弟である。俳誌「山茶花」「桐の葉」を主宰し、昭和36年没。80歳。

この句は昭和5年3月当地発行の俳誌「いひほ」百号記念大会に出席したときの作。

外にも春水の句を数多く詠じ「春水の泊月」といわれた。

茶 室


この茶室は安政年間(1854〜1859)龍野藩主脇坂安宅公が京都所司代の職にあって御所が炎上した際、その復興に功績があったので、孝明天皇から茶室を賜わり、心字池上に浮堂として移築したものといい伝えられ、庭園、池、杉垣などと調和し、桃山時代の書院造を模した風雅な数寄屋風の建築物です。

心字池畔に五十嵐播水の句碑があった。


鶯や
聚遠亭の
雨の客

作者五十嵐播水は高浜虚子高弟の一人で姫路の生れ。永らく神戸央市民病院院長を務め、俳誌「九年母」を主宰。龍野を愛し、しばしば訪れている。

この句は昭和31年市制5周年記念俳句大会の際の作品である。

聚遠亭心字池の山側に三木露風の「ふるさとの」詩碑があった。


ふるさとの 小野の木立に
 笛の音の うるむ月夜や
少女子は 熱き心に
 そをば聞き 涙ながしき
十年経ぬ おなじ心に
 君泣くや 母となりても

茶室前に井原西鶴の句碑があった。


花ぞ雲
 動き出でたる
  龍野衆

文豪の井原西鶴「好色五人女」「世間胸算用」は日本文学の代表作として著名であります。

この俳句は西鶴が元禄4年(1691年)の春、龍野の俳友法雲寺住職御風山春色法師を訪れ、一席の句莚開いたときの句である。この日の俳句は春色遺稿集「わたまし抄」に掲載されています。

稲畑汀子の句碑


冬になほ
 龍野の紅葉
  心惹く

 稲畑汀子 1931年生れ。祖父高浜虚子、父年尾、稲畑家に嫁ぐ。1976年以来「ホトトギス」主宰。日本伝統俳句協会会長、国際化にも尽力される。当大会20周年に当り、多年にわたるご指導を感謝し、これを建てる、

平成5年(1993年)11月、建立。

御涼所(おすずみしょ)


中に入る。


庭園を見る。


窓を開けられないので、暑い。

紅葉谷へ。

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