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村上壷天子ゆかりの地

 本名は万寿男(ますお)。愛媛師範学校(現:愛媛大学教育学部)在学中に、村上霽月から俳句の指導を受けた。

 明治20年(1887年)12月1日、越智郡大山村字泊(現:今治市吉海町)に重松藤太の二男として生まれる。

 明治42年(1909年)、大山村余所国(現:今治市宮窪町)の村上チカエの婿養子となり村上家を継ぐ。

 大正10年(1921年)、松根東洋城主催の俳誌『渋柿』同人となる。

 昭和13年(1938年)、松山市の余土小学校の校長を最後に退職。

 昭和17年(1942年)、俳誌『渋柿』の選者となる。

 昭和35年(1960年)5月26日、村上壺天子の句碑を建立。

 昭和39年(1964年)10月28日、松根東洋城は87歳で死去。

 昭和41年(1966年)、松根東洋城の句碑を建立。村上壺天子の揮毫。

 昭和54年(1979年)4月13日、正岡子規の句碑を建立。村上壺天子書。

 昭和59年(1984年)12月26日、村上壺天子は97歳で永眠。

粟の井やそこ夏の海よりの風

粟乃井井戸(愛媛県松山市)

妻恋の鹿や木の間の二十日月
舟虫の遊べるに吾も遊ぶかな

鹿 島(愛媛県松山市)

正岡子規の句碑

伊予鉄道平井駅(愛媛県松山市)

松根東洋城の句碑

宇和島東高校(愛媛県宇和島市)

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