2019年北海道

有島記念公園〜有島武郎像〜
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ニセコ町字有島に有島記念公園があるというので、行ってみた。

 有島記念公園は有島武郎生誕百年に当たる昭和53年に開館し、以来年々来館者が増えつつあることは、まことに喜ばしい。

 今回更に、生誕百年を記念し、旧農場農団ゆかりの地でもあるこの地、約5ヘクタールの環境を整え、記念公園とした。

「来館者が増えつつある」とは、思えなかった。

リトルチャーチ


「クララ」

 「平原の平和な夜の沈黙を破って、はるか下のポルチウンクウラからは、新嫁を迎うべき教友らが、心をこめて歌いつれる合唱の声が、静かにかすかにおごそかに聞こえてきた。」

「クララの出家」末尾より

「カインの末商」文学碑




長い影を地にひいて、痩馬の手綱を取りながら、彼は黙りこくって歩いた。

大きな汚い風呂敷包と一緒に、章魚(たこ)のように頭ばかり大きい赤坊をおぶった彼の妻は、少し跛脚をひきながら三、四間も離れて、その跡からとぼとぼとついて行った。

北海道の冬は空まで逼っていた。

蝦夷富士といわれるマッカリヌプリの麓に続く、胆振の大草原を、日本海から内浦湾に吹きぬける西風が、打ち寄せる紆濤(うねり)のように跡から跡から吹き払っていった。

寒い風だ。

見上げると八合目まで雪になったマッカリヌプリは、少し頭を前にこごめて風に歯向いながら黙ったまま突立っていた。

昆布岳の斜面に小さく集った雲の魂を眼がけて、日は沈みかかっていた。

草原の上には一本の樹木も生えていなかった。

心細いほど真直な一筋道を、彼れと彼れの妻だけが、よろよろと歩く二本の立木のように動いて行った。

有島武郎著「カインの末商」冒頭より

有島武郎像


 秀峰羊蹄・ニセコ連山に抱かれたこの地は、白樺派を代表する作家有島武郎の生涯にわたる苦悩の場であり、慰籍であり、彼の作品の母胎の地でもある。

 彼は農場所有にうしろめたさを感じながらも、この農場の人と大自然をこよなく愛し、この地を舞台とした「カインの末裔」や「生まれ出づる悩み」等、多くの文学作品を残し、その作品は、現在も多くの人々の心に深い感銘と感動を与え続けている。

 思想的幾変遷ののち、この地に所有していた農場を土地共有という形で小作人に無償で解放した。

 彼の理想と精神は、幾多の不滅の作品と共に今日も、このニセコの大地に生き続けている。

有島記念館


休館日だった。

小説家・有島武郎について

 明治11年(1878年)、東京に生まれます。学習院中等科卒業後、札幌農学校に進学。明治36年(1903年)、アメリカに留学。明治39年(1906年)、イタリアに留学していた弟で画家の有島生馬とともにヨーロッパを遊学。翌年帰国し、札幌農学校の後身である東北帝国大学農科大学(現・北海道大学)にて教鞭をとりました。この時期、武者小路実篤、志賀直哉、弟で作家の里見クらとともに『白樺』同人となり、小説をはじめ社会評論、美術評論など幅広い執筆活動をはじめます。

 大正5年(1916年)、妻と父を相次いで亡くしたのと前後して北海道を離れる。そして、大正11年(1922年)、思想と実生活との一元化を求めて、北海道狩太(現・ニセコ町)この頃を境に小説『カインの末裔』、『小さき者へ』、『生れ出づる悩み』、『或る女』、『一房の葡萄』などの代表作を相次いで発表し、大正期を代表する作家となります。大正12年(1923年)、『婦人公論』記者・波多野秋子と軽井沢にて自裁しました。

有島武郎とニセコ

 有島家とニセコのかかわりは、有島武郎の父・武が、北海道開発を進めるため施行された 「北海道国有未開地処分法」によって、明治31年(1898年)にマッカリベツ原野(現・ニセコ町)の貸下を国に出願したことにはじまります。この後、「有島農場」は武郎の名義になりますが、武郎は貧しい小作人の労働から生み出された利益を不在地主として得ることに疑問を抱いていました。自らの死の前年にあたる大正11年(1922年)、農場全体を小作人全員が共同共有して営農することを前提に農場の無償開放を宣言しました。それは当時画期的なことでありました。

 大正13年(1924年)、武郎が望んだ「相互扶助」の精神によって「有限責任狩太共生農団信用利用組合」(「狩太」はニセコ町の旧称)が設立され、運営されます。しかし昭和24年(1949年)、占領軍による農地改革の対象となって農団は解散し 農地はそれぞれ大院の持分に従って、私有地となりました。

 その頃、旧団員は武郎の恩に報いるために「有島謝恩会」を設立し、旧農場事務所内の有島家が使用した座敷を初代「有島記念館」として、武郎や旧農場の資料を保存・展示します。しかし、昭和38年(1963年)7月、有島謝恩会が中心となって浄財が集められ、2階建ての「有島謝恩会」が再建されました。

 昭和53年(1978年)、武郎の生誕100年記念して、ニセコ町によって「有島記念館」(現在の常設展示室)が建設されたことを期に、「有島謝恩会」が保存していた資料が当館に託され現在に至ります。

 ニセコは 武郎の作品の舞台として登場しています。本能のままに野性的に生きる農夫の姿を描いた小説「カインの末裔」や、岩内出身の画家・木田金次郎との出会いをモデルとした小説「生まれ出づる悩み」、農場所有を巡る父子の葛藤を描いた短編小説「親子」は、ニセコの地がモデルとなっています。このほか、武郎の代表作である長編小説「或る女」の一部も、この場所で執筆されました。

有島武郎の小説は50年前に読んだが、覚えていない。

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