道後温泉「道後温泉本館」

松山といえば、道後温泉。
寛政5年(1793年)、森々庵松後は筑紫に向かう途上、道後の温泉に入湯しているようだ。
道後の温泉は神代より始まりて古き文にも
見えぬれは
春なれや湯桁にあまる人の數
『心つくし』
寛政7年(1795年)2月、一茶は道後温泉を訪れている。
「道後温泉本館」

写真を撮る観光客が多い。
明治27年(1894年)、建築。
明治28年(1895年)、夏目漱石は愛媛県尋常中学校(旧制松山中学、現在の松山東高校)に赴任する。
おれはここへ來てから、毎日住田の温泉へ行く事に極めてゐる。ほかの所は何を見ても東京の足元にも及ばないが温泉だけは立派なものだ。せつかく來た者だから毎日這入つてやらうといふ氣で、晩飯前に運動かたがた出掛る。
『坊つちやん』
「神の湯階下」に入る。料金は400円。
内部は撮影禁止。
お風呂は昔の銭湯と同じ。
石鹸やシャンプーはないので、旅の者は浴槽に浸かっているしかない。
平成6年(1994年)12月、「道後温泉本館」は国の重要文化財に指定された。
「坊つちやんカラクリ時計」の脇に柳原極堂の句碑があった。

春風やふね伊豫に寄りて道後の湯
明治30年(1897年)4月3日、松山の俳句結社松風会例会の席題吟「名所詠みこみ」の句です。
「ふね伊予によりて」という中7の字余りが、いかにも伊予の松山らしい、ゆったりとした風土の味を出しています。
今もつづく俳誌『ホトトギス』は、明治30年松山で極堂が創刊しました。彼は終世子規の顕彰に努め、初の愛媛県民賞を受け、また松山市名誉市民の第1号となりました。
俳句の里 道後コース16番
大正10年(1921年)3月20日、斎藤茂吉は道後温泉に入浴、1泊している。
年ふりし道後のいでゆわが浴(あ)めばまさごの中ゆ湧きくるらしも
昭和6年(1931年)11月2日、与謝野寛・晶子夫妻は道後温泉に泊まっている。
夕明り道後の湯場にかかるなり松山の城月のここちに
「緑階春雨」
昭和14年(1939年)11月21日、種田山頭火は道後温泉に入浴。
人のなさけにほごれて旅のつかれが一時に出た、ほろ酔きげんで道後温泉にひたる、理髪したので一層のうのうする、緑平老のおせったいで、坊ちゃんというおでんやで高等学校の学生さんを相手に酔いつぶれた! それでも帰ることは帰って来た!
『四国遍路日記』
同年12月、山頭火は松山の「一草庵」に住む。
