西郷隆盛は幕末維新の指導者で、明治天皇の信頼が厚く、日本最初の近衛都督陸軍大将になりました。 文政10年(1827年)下加治屋町郷中(したかじやまちごじゅう)に生まれた西郷は、幼名を小吉(こきち)、通称を吉之助といい南洲と号しました。青年時代に二才頭(にせがしら)として農政に関する意見書を提出。藩主島津斉彬(なりあきら)の目にとまり側近に抜擢され、国事への関心を高めました。ところが、その斉彬が急死。勤皇僧月照と錦江湾に投身、一人生き残って大島に流されました。その後、大久保利通らの助けで幕府を倒す運動に復帰。藩論を指導し、薩長連合を結んで、王政復古の大号令を決行。東征大総督府参謀として江戸無血開城を実現しました。 新政府が樹立した後は、参議として廃藩置県を断行。岩倉具視、木戸孝允(たかよし)、大久保利通らが外遊中の政府を預かりました。明治6年(1873年)遣韓使節をめぐる政争に敗れて東京から鹿児島に帰った後は、私学校を開き後進の指導にあたりましたが、彼らの血気に押され、ついに西南戦争へと突入。明治10年(1877年)西郷は城山で自刃しました。 この銅像は、郷土出身の彫刻家 安藤照が習志野大演習で陸軍大将の制服を身につけた西郷の姿を思い描き制作したものです。
鹿児島市 |
明治25年(1892年)、安藤照は鹿児島市新屋敷通町に誕生。 昭和9年(1934年)4月21日、忠犬ハチ公像設置。 昭和12年(1937年)5月23日、没後50年祭記念として製作し、完成。 昭和19年(1944年)、忠犬ハチ公像は金属供出で撤去。 昭和20年(1945年)5月、安藤照は東京大空襲で死亡。享年54。 |