この石塔は古くから清盛塚と呼ばれ、北条貞時の建立とも伝えられています。当初は現在地より南西11mにあり、平清盛の墳墓とも言われていましたが、大正時代の道路拡張に伴う移設の際の調査で、墳墓でないことが確認され、現在地に移設されました。 石塔は、高さが8.5メートル、初層は一辺145cm、最上層は一辺88cmを測り、基礎部台石東面の両脇に「弘安九」「二月日」の銘があり、弘安9年(1286年)に造立されたことがわかります。 石塔の隣には、神戸出身の彫刻家である柳原義達の作になる平清盛像が建てられています。今なお清盛塚は、地域の人々によって敬われ、大切に守られています。 |
神戸開港百年祭を記念して開港の祖平清盛を顕彰するためここにその像を建立する |
清盛塚と小道を挟んで北西に平面形が琵琶の形をした塚があり、琵琶塚と呼ばれ、江戸時代から琵琶の名手・平経正の墓と信じられていました。平経正は清盛の弟経盛の長男で敦盛の兄にあたります。 明治35年(1902年)有志により琵琶塚の碑が建てられましたが、大正時代の道路拡張の際に清盛塚とともに、現在地に移設されました。 |