明治16年(1883年)3月1日、大分県大野郡上井田村(現:豊後大野市朝地町)村長であった渡辺要蔵の三男として生まれる。 明治26年(1893年)、朝倉種彦の養子となる。 明治35年(1902年)9月20日、9歳年上の兄渡辺長男を頼って上京。その日が子規の通夜であった。 明治35年(1902年)3月20日から4月30日、太平洋画会は上野公園第五号館で第1回展覧会を開催。朝倉文夫出品。 明治36年(1903年)、東京美術学校(現:東京藝術大学)彫刻選科に入学。 明治40年(1907年)、東京美術学校(現:東京藝術大学)彫刻科を卒業。 明治41年(1908年)、「雲」を制作。 大正6年(1917年)、照国神社に「贈正一位島津斉彬之像」「從一位島津久光公之像」「從一位島津忠義公之像」を建立。 大正10年(1921年)、東京美術学校の教授に就任。 大正14年(1925年)12月9日、次女朝倉響子生まれる。本名は矜子。 昭和5年(1930年)10月12日、大連星ヶ浦公園内霞ヶ丘に後藤新平銅像建立。 昭和7年(1932年)10月、早稲田大学創設50周年と大隈重信没後十回忌に総長大熊老侯像建立。 昭和9年(1934年)、アトリエを改築し「朝倉彫塑塾」を作る。 昭和10年(1935年)、新渡戸稲造の多摩墓地を建設。 昭和12年(1937年)、西南戦争60年を記念して谷干城の銅像を建設。 昭和22年(1947年)、「姉妹」像を制作。 昭和23年(1948年)、彫刻家として初めて文化勲章を授章。 昭和25年(1950年)、「三相」の像制作。 昭和25年(1950年)10月7日、「瀧廉太郎君像」除幕。 昭和25年(1950年)10月、白セメントで造られた「みどりのかげ」像が遊歩公園に設置された。 昭和27年(1952年)、太田道灌像を制作。 昭和28年(1953年)、上野駅開設70周年、特急はつかり運転開始記念に翼の像制作。 昭和30年(1955年)11月、青淵澁澤榮一の像再建。 昭和31年(1956年)、青年像制作。 昭和32年(1957年)4月、大分市で彫塑三十年回顧展を開催。 昭和33年(1958年)4月、大分駅北側の広場に青年像建設。 昭和34年(1958年)、尾崎行雄像を制作。 昭和34年(1959年)、朝倉文夫により井上勝君像再建。 昭和34年(1959年)、「競技前」の像を制作。 昭和36年(1961年)11月1日、台東区名誉区民に推戴。 昭和37年(1962年)11月3日、鳩ポッポの歌碑建立。 昭和39年(1964年)、生誕噴水塔建設。 昭和39年(1964年)4月18日、81歳で没。谷中霊園に墓碑がある。 昭和41年(1966年)10月、大分文化会館竣工に伴い「あこがれ」の像を設置。 昭和44年(1969年)、明治100年を記念して谷干城の銅像を再建。 昭和53年(1978年)6月、大連星ヶ浦公園の銅像と同じ原型によって奥州市の水沢公園に後藤新平の銅像を建立。 昭和58年(1983年)、大分市の金池小学校の前に「姉妹」の像を設置。 昭和61年(1986年)6月、大分市民図書館コンパルホール分館に「生誕」の像建立。 昭和62年(1987年)1月1日、流山市は市制施行20周年を契機に平和都市を宣言。東京都台東区から「姉妹」像を寄贈。 |
![]() | ![]() |
![]() | ![]() |
![]() | ![]() |
![]() | ![]() |
![]() | ![]() |