時宗の開祖である一遍上人が、全国を遊行中に亡くなった示寂の場として有名で、境内に廟所があります。寺の堂の一つに「広池山竜蔵院」があり、大竜の竜骨を納めていたと伝えられています。経ケ島築造のとき、住んでいた大池を失い祟りをなしましたが、堂を建てて大日如来を祀ったところ解脱昇天したと謂われています。また福原遷都の際、都の周囲に祀られた七弁天のひとつである真野弁天はこの大日堂であったと謂われています。 |
平成7年(1995年)1月、阪神・淡路大震災により倒壊。 平成10年(1998年)5月、再建復興。 |
平清盛公が当寺に弁財天を勧請した時に、僧がこの井戸の水でお茶をたてて献上したと伝えられています。
西月山真光寺 |
承安2年(1172年)に平清盛公が安芸の国の厳島明神を勧請して祀った七弁財天の一つが当寺にありました。 真野弁財天とよばれて大切に祀られ、人々の信仰を集めていました。しかしながら、神戸大空襲で真光寺が消失してしまい真野弁財天も今はありません。 弁財天はインドの古代神話に登場するサラスパティ(水を持つもの)という神様です。水の流れは芸能とも結びつき音楽の神様としても信仰されています。 真光寺の弁財天は真野弁財天焼失後、インドより招来されました。インドの弦楽器シタールを奏でています。
西月山真光寺 |
阿弥陀佛 観音勢至 仰ぎみて 祖廟乃庭に 法乃声聴く |
文明3年(1471年)、遊行十九代尊皓(そんこう)上人は諸国遊行の途中、下野国那須芦野の里で朽木の柳に結縁(けちえん)し、南無阿弥陀仏の名号をもって柳の精霊を済度された。 |
白露や 永久に 聖の御跡ど |
菊剪つて われ一介の 祖廟守 |
望月華山(1897〜1973)は真光寺二十四世住職。俳号四十艸。藤沢時宗宗学林に入り寮監河野静雲に俳句を習う。 |