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武田信玄は、武田信虎と大井夫人の長男として生まれる。成人して晴信を名乗るが、一般に知られている信玄は法名である。 天文10年(1541年)、父信虎を駿河に追放して甲斐の守護となり、信濃を制圧して上杉謙信と対立し、5度に及び川中島で合戦を繰り返す。 その後将軍足利義昭ら反信長勢力と結び、戦国最強と謳われた甲斐軍団を率いて京都進出を企て、徳川家康を三方ヶ原に破る。天正元年(1579年)三河の野田城後略中に発病。帰国途中の信濃伊那駒場で没する。享年53歳。3年間喪が秘され、天正4年(1576年)に恵林寺で葬儀が行われた。 甲州法度の制定、信玄堤の名で知られる治水工事など、民政家として抜群の手腕を振るって領国経営にも尽くした。 |
