元徳2年(1330年)、創建。夢窓疎石開基。 永禄7年(1564年)、武田信玄は菩提寺と定めた。 |
天正10年(1582年)4月3日、近江の佐々木承禎らを秘かにかくまい逃れさせた快川和尚に織田信長は怒り、国師はじめ100余人の僧侶らを三門へ集め火をつけた。 |
貞亨3年(1686年)、大淀三千風は差出の磯などを見て、恵林寺を訪れた。 |
○かくて甲府を立つ。さし出の磯、鹽の山、鵜飼寺を見て、かの信玄公菩提所、乾徳山惠林寺に案内して、荊山老和尚に謁し、旅行のはふれをはらす。當寺は古跡にて境内二里四方、殿閣重重(づしやか)に靈寳みな昔を戀る。種(くさはひ)也。例の虫喰牙を噛出し、長編を半軸記す。 |
天明8年(1788年)3月17日、蝶夢は江戸へ下る途中で石牙に伴われて恵林寺に参詣した。 |
十七日、主のともなひ、恵林寺へ詣る。御醍醐の朝に二階堂の本願にて、夢窓国師の開基なる。境内に古木おひ茂りて精静の禅林なり。山門額に、【雑 華 世 界】とあり。両袖桜。 |
明治37年(1904年)11月23日、伊藤左千夫は恵林寺を訪れている。 |
昭和40年(1965年)6月、水原秋桜子は恵林寺に立ち寄っている。 |
帰途、塩山の恵林寺に立寄る 水無月や庫裡見通しに庭牡丹 雨蛙大寺をまもる僧二人
『殉教』 |