2014年富 山

松川の歴史〜越中万葉の歌碑〜
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富山城址公園の北側を松川が流れる。


松川の歴史と越中万葉の歌碑・歌石板

〜神通川の変遷と馳越線工事〜

 神通川は、かつて富山城の北側を大きく蛇行して流れていたため、大雨の度に氾濫を起こし、人々を苦しめていました。

 このため県は、明治34年(1901年)に蛇行する部分にまっすぐな分水路「馳越線」を開削する工事に着手し、同36年(1903年)に完成しました。完成当時、馳越線の幅は2メートルしかありませんでしたが、洪水のたびに水が流れ込み、その勢いで少しずつ川幅を広げていきました。一方、旧神通川には次第に水が流れなくなり、堤防で締め切られると、ようやく神通川の水害は抑えられるようになりました。

 こうして出来た広大な廃川地(旧神通川跡地)は、昭和10年(1935年)に富岩運河を掘った土で埋められ、右岸側の一部が残され、現在の松川となっています。

〜現在の松川〜

 松川は富山市中心市街地の水と緑あふれる憩いの空間であり、松川べりの桜は全国の「さくら名所100選の地」にも選ばれ、うるおいのある憩いの場として県民に広く利用されています。

〜越中万葉の歌碑・歌石板〜

 今から1300年前の奈良時代、越中に赴任した大伴家持は、豊かな自然や風土に触れ、万葉集に223首の歌を残しています。富山県では「ふるさと文学」の振興に取り組んでおり、松川べりに、その拠点となる「高志の文学館」を建設し、大伴家持の歌碑を設置しています。

大伴家持の歌碑@


立山に降り置ける雪を常夏に見れども飽かす神からならし

「巻十七」収録の歌。

 天平19年(747年)4月27日、立山を詠んだ歌三首のうち、2首目の短歌。

大伴家持の歌碑A


春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子

「巻十九」収録の歌。

 「天平勝宝二年三月一日の暮(ゆふへ)に、春苑の桃李の花を眺矚して作る二首」のうち1首。

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