|
神通川は、かつて富山城の北側を大きく蛇行して流れていたため、大雨の度に氾濫を起こし、人々を苦しめていました。 このため県は、明治34年(1901年)に蛇行する部分にまっすぐな分水路「馳越線」を開削する工事に着手し、同36年(1903年)に完成しました。完成当時、馳越線の幅は2メートルしかありませんでしたが、洪水のたびに水が流れ込み、その勢いで少しずつ川幅を広げていきました。一方、旧神通川には次第に水が流れなくなり、堤防で締め切られると、ようやく神通川の水害は抑えられるようになりました。 こうして出来た広大な廃川地(旧神通川跡地)は、昭和10年(1935年)に富岩運河を掘った土で埋められ、右岸側の一部が残され、現在の松川となっています。 |
|
松川は富山市中心市街地の水と緑あふれる憩いの空間であり、松川べりの桜は全国の「さくら名所100選の地」にも選ばれ、うるおいのある憩いの場として県民に広く利用されています。 |
|
今から1300年前の奈良時代、越中に赴任した大伴家持は、豊かな自然や風土に触れ、万葉集に223首の歌を残しています。富山県では「ふるさと文学」の振興に取り組んでおり、松川べりに、その拠点となる「高志の文学館」を建設し、大伴家持の歌碑を設置しています。 |

|
天平19年(747年)4月27日、立山を詠んだ歌三首のうち、2首目の短歌。 |

|
「天平勝宝二年三月一日の暮(ゆふへ)に、春苑の桃李の花を眺矚して作る二首」のうち1首。 |

|
東風 いたく吹くらし 奈呉の海人の 釣する小舟 漕ぎ隠る見ゆ |
