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「掬翠園」は鹿沼三名園のひとつで、明治45年(1912年)から5年間かけて長谷川唯一郎氏により造園された。鹿沼の三名園中で唯一の現存する庭園である。 |
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明治6年(1873年)、唯一郎は栃木町の生まれ、鹿沼町の村山商店で奉公。のち独立して鹿沼屈指の麻商となった。 |


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昭和55年(1980年)、氏の長男の嫁喜美さんが唯一郎を偲び、建立した。 |



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元禄2年(1689年)3月29日(新暦5月11日)、芭蕉は鹿沼に1泊した折の句とされる。 |
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「春の暮の何もかもがものうく、たよりない田舎の風物の中に身を置いて、ひそかに入相の鐘を心待ちにしているのだが、当然鳴るはずのその鐘さえ聞こえず、ものうさがいやますことだ」という意。 前作の別案定稿であろう。『曾良書留』の記載ぶりから考えると、まず「入りかかる日も糸遊の名残かな」が生まれ、その入り日の気分を生かそうとして、「程々に春の暮」と一度は改めたが、それには満足できず、初案のままを生かすことにした上で、別に「春の暮」の句として、前句「鐘つかぬ」を案じ出し、さらにそれを推敲再案する彷徨で、この「入相の鐘」が生まれるという発想過程をたどったものであろう。 『曾良書留』・『奥細道拾遺』・『雪丸げ』・『茂々代草』・『祖翁消息写』(以上二書、高久青楓所持の真蹟により、真蹟懐紙と同じ前書)、 『芭蕉全句 下』 |

