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井伊侯の藩邸表門の前、石垣のもとにあり。亘り九尺ばかり、石にて畳みし大井なり。釣瓶の車三つかけならべたり。或は云ふ、『事績合考』に、「井伊家中屋敷四ツ谷喰違の屋敷ともあり。若葉井は同所御堀端番屋の裏にあり、柳の木をうゑし故に柳の水ともいへり。いづれも清冷たる甘泉なり。 |

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東京都指定史跡 |
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「櫻の井」は名水井戸として知られた「江戸の名所」で、近江・彦根藩井伊家上屋敷の表門外西側にあったが、ここは加藤清正邸跡(都旧跡)で、清正が掘ったと伝えられている。3連式釣瓶井戸で、縦約1.8メートル、横約3メートルの石垣で組んだ大井戸で 3本の釣瓶を下ろし、一度に桶3杯の水が汲め、 幕末当時江戸城を訪れる通行人に豊富な水を提供し、重宝がられた。 江戸名所図会に絵入りで紹介され、 歌川(安藤)広重の「東都名所」の「外櫻田弁慶櫻の井」(天保14年(1843年))にも描かれている。安政7年(1860年)3月3日には大老井伊直弼がこの井戸の脇から途上途中、暗殺された。 大正7年(1918年)史跡に定められ、東京都は昭和30年(1955年)旧跡指定。 昭和43年(1968年)道路工事のため、 交差点内から原形のまま10メートル離れた現在地に移設復元された。 平成19年(2007年)彦根城築城400年祭と東京金亀会設立90周年に記す 平成19年10月 東京金亀会 (滋賀県立彦根中学校・彦根東高等学校同窓会) 東京都教育委員会 |

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この公園一帯は、江戸時代初期には肥後熊本藩主加藤清正の屋敷でした。加藤家は2代忠広の時に改易され、屋敷も没収されました。 その後、近江彦根藩主井伊家が屋敷を拝領し、上屋敷として明治維新まで利用しています。(歴代当主は、掃部頭を称しました)。 幕末の大老井伊直弼は、万延元年(1860年)3月に、この屋敷から外桜田門へ向かう途中、水戸藩士等に襲撃されました。 |
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昭和9年(1934年)12月2日、高浜虚子は武蔵野探勝会の東京名所遊覧で二重橋へ。高浜年尾・星野立子等同行。 |
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「……これは桜田門でございます。元和六年に造られたもので、かの有名な井伊大老が……正面の尖つた大きな石造の白い建物は只今新築中の国会議事堂でございます……参謀本部……陸軍省はもとの加藤清正公のお屋敷で後に先程申し上げた井伊大老の上屋敷に変つた所で……。」
『武蔵野探勝』(東京名所遊覧) |
