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澁谷氏が北条氏綱に滅ぼされとき(1525年)その一族の大和田太郎道玄がこの坂の傍に道玄庵を造り住んだ。それでこの坂を道玄坂というといわれている。江戸時代ここを通る青山街道は神奈川県の人と物を江戸へ運ぶ大切な道だった。やがて明治になり品川鉄道(山手線)ができると澁谷付近もひらけだした。近くに住んだ芥川竜之介・柳田國男がここを通って通学したが,坂下に新詩社ができたり林芙美子が夜店を出した思い出もある。これからも道玄坂は今までと同じくむしろ若者の町として希望と夢を宿して永く栄えてゆくことだろう。
樋口清之 |

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母遠うて 瞳したしき 西の山 さがみか知らず 雨雲かゝる |
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かえり十時。道玄坂の古本屋で、イバニエスのメイ・フラワア号を買う。四十銭也。駅の近くの居酒屋で赤松月船と酒を飲む。昆布巻き二つとコップ酒。馬鹿に勇ましくなる。
『放浪記』 |

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昭和40年(1965年)、大成浩は東京芸術大学彫刻科大学院修了。 昭和62年(1987年)、第18回 中原悌二郎賞受賞。 平成11年(1999年)、風の標識 No.31制作。 平成8年(1996年)、三ノ宮駅に「風の標識No.45」設置。 令和5年(2003年)6月25日、大成浩は83歳で死去。 |
