与謝野晶子ゆかりの地



東京新詩社跡

JR渋谷駅から道玄坂を上る。


道玄坂の路地を入ると、東京新詩社跡がある。

東京新詩社跡


 与謝野鉄幹は明治34年(1901年)麹町から渋谷に移り住み、晶子と結婚しました。東京新詩社の機関誌『明星』を12号から発行し、晶子も歌集『みだれ髪』を刊行しました。詩歌革新を目指して盛んに文学活動を行いましたが、明治37年に千駄ヶ谷に移るまでに、この近くに2度住まいを変えています。千駄ヶ谷に移り住んでから、東京新詩社は最盛期を迎え、晶子も歌集『恋衣』や『夢の華』などを刊行しましたが、新詩社の機関誌『明星』が100号で廃刊される事態となり、明治42年に神田駿河台に移りました。

渋谷区教育委員会

 明治35年(1902年)11月1日、石川啄木は上京。9日、東京新詩社を訪問して初めて与謝野鉄幹に接し、翌日与謝野晶子に会う。

十一月一日

 うつゝなの想ひにのみ百四十里をすぐして午前十時上野駅に下車し雨中の都大路を俥走らせて十一時頃小石川なる細越夏村兄の宿に轅下させぬ。

十一月九日

 今日は愈々そのまちし新詩社小集の日也。

一時夏村兄と携へて会場に至れば、鉄幹氏を初め諸氏、すでにあり。

十一月十日

 先づ晶子女史の清高なる気品に接し座にまつこと少許にして鉄幹氏完爾として入り来る、八畳の一室秋清うして庭の紅白の菊輪大なるが今をさかりと咲き競ひつゝあり。


 明治38年(1905年)、吉井勇は新詩社に入社。

 明治39年(1906年)、北原白秋が新詩社に入る。

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