森鴎外(1862年〜1922年、医学博士、文学博士)は明治25年(1892年)、30歳の時に千駄木駒込町21番地に居を構え、増築した2階部分から東京湾が眺められたとされたことにより、観潮楼と名付けた。 鴎外はこの地において半生を過ごし、『青年』『雁』『阿部一族』『高瀬舟』『渋江抽斎』など代表作を執筆した。その後建物は火災や戦災により焼失したが、「胸像」「銀杏の木」「門の石畳」「三人冗語の石」は残り、当時の姿を偲ぶことができる。 戦後、文京区はこの地を児童遊園地として開放し、東京都指定史跡の認定を受けた。さらに鴎外生誕100年にあたる昭和37年(1962年)に鴎外記念室を併設した文京区立鴎外記念図書館を開館し、平成24年(2012年)に鴎外生誕150年を記念して、文京区立鴎外記念館を開館した。 |
褐色(かちいろ)の根府川石に |
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白き花はたと落ちたり |
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ありとしも青葉がくれに |
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見えざりしさらの木の花 |
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森林太郎先生詩 |
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昭和二五年六月 |
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永井荷風書 |
この詩碑は鴎外の三十三回忌にあたる昭和29年7月9日に長男於菟氏から兄弟を代表して区に寄贈されたものである。 なお、詩碑の発案は野田宇太郎(詩人)、書写は永井荷風(作家)、設計は谷口吉郎(建築家)の3者の協力を得て制作された。 |
観潮楼址 秋蝉の上野は暮れて水を打つ 盆の月鴎外詩壁照りいづる 盆の月此処は虫鳴く草もなし
『帰心』 |