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この菩薩頭は鋳鉄製で、総高170センチメートル、面幅54センチメートル。頭頂部のみは後に補修され鋳銅製。頭上には高さ53センチメートルの高髻(こうけい)があり、後補の鋳銅製蓮華座に乗っています。 この像は、もと鎌倉の新清水寺にあった観音像でしたが、鎌倉時代の火災で崩れてしまいました。江戸時代に頭部が鶴岡八幡宮前の鉄井(くろがねのい)から掘り出され、明治初年の神仏分離の令に際し鎌倉から移され、明治9年(1876年)大観音寺に安置されています。以後、本尊として今日に至りました。毎月17日に開帳され、信仰を集めています。 中世造立になる関東特有の鉄仏のうちでも、鎌倉時代製作の優秀な作品で、昭和47年4月、都指定有形文化財に指定されています。
中央区教育委員会 |
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現在の人形町交差点北側一帯には江戸唯一の歓楽街がありました。中村座と市村座の江戸二座では歌舞伎が上演され、また見世物小屋をはじめ人形芝居の小屋が5、6軒あり、そのため、かなりの人形師がこの町に住んでいたので、江戸時代より俗に人形町と呼ばれ親しまれてきました。 |
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人形町 人形に茶をはこばせて門涼み |
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十五日 晴 中村芝居 未刻ヨリ雷雨 廿五日 曇 市村芝居 金蔵
『文化句帖』(文化2年3月)
三 晴 中村坐(座)始 源之介梅の由兵衛役
『七番日記』(文化7年3月)
十 晴 中村坐納 [十]二 晴 森田納 [十]三 晴 市村納
『七番日記』(文化7年12月) |
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廿 晴 一瓢上人中村坐(座)覧 松[井]ニ入
『七番日記』(文化9年2月)
十二 晴 は組ノ者ト中村坐(座)大喧嘩 松[井]ニ入 十三 申刻雨 中村坐(座)大喧嘩
※「嘩」は「華」ではなく、「花」。
『七番日記』(文化9年3月) |
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一 晴 中村坐(座)始 本行寺ニ入 廿三 晴 一瓢上人市村坐(座)見物 留守 松井ニ帰
『七番日記』(文化11年11月) |
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江戸時代の初め、元和3年(1617年)に蘆の繁茂する湿地を埋立して造成されたのがこの土地です。 一方、14,000余坪を堀で囲んだ遊廓は江戸一番の歓楽の地と成りました。 しかし、明暦3年(1657年)の江戸の大火で焼失した吉原遊廓は、39年間この地で栄えましたが、浅草山谷へ移されました。 後地は新和泉・住吉・高砂・浪花の4ヶ町の商業地となり、周辺の商店と共に大いに繁昌し、今日に受けつがれています。 |
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藪入が必立や思案橋
『七番日記』(文化14年正月) |
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吉原に行こうか芝居町に行こうか、橋の上で思案したことから「思案橋」と名付けられたそうだ。 |