私の旅日記2011年

犬山城〜内藤丈草の句碑〜

今日は犬山市犬山北古券にある犬山城(HP)に行く。


犬山城は姫路城、松本城彦根城と共に国宝指定を受けている。

国宝4城の中で最も古い城である。

 天文6年(1537年)、織田信長の叔父織田信康によって築かれた。

 天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いで豊臣秀吉は犬山城に入り、小牧山の徳川家康と対陣した。

 元和3年(1617年)、尾張藩主徳川義直の附家老である成瀬正成が3万石で犬山城に入る。

犬山城の石段


犬山城の城門


城門の前に内藤丈草の句碑があった。


涼しさを見せてやうごく城の松

内藤丈草は尾張国犬山藩士。

 元禄元年(1688年)、27歳で致仕、出家して京都に住む。翌年、中村史邦の紹介で芭蕉に入門。

 元禄13年(1700年)、故郷の犬山に帰るが、暑さに耐え兼ねて美濃へ。

   犬山にて市中苦熱

涼しさを見せてやうごく城の松

  『旅袋』には「見せてうこくや」とある。

元禄17年(1704年)2月24日、43歳で没。

 昭和28年(1953年)11月、内藤丈草の250年祭を記念して建立。

犬山城天守閣


 享和2年(1802年)3月26日、太田南畝は鵜沼宿を前に対岸の犬山城を見ている。

坂を下りて右のかたに田面をへだて、はるかに塔のごとくみゆるは犬山の城楼也。山の上につくりたれば、いや高くみゆ。


渓斎英泉「木曽街道六十九次・鵜沼」


 明治24年(1891年)、濃尾大地震で天守閣は半壊。

 明治28年(1895年)、修理をする条件で旧藩主成瀬家所有の城となった。

 明治38年(1905年)9月、長塚節は木曾川の沿岸を行き、犬山城を見上げている。

   木曾川の沿岸をゆく

鱗なす秋の白雲棚引きて犬山の城松の上に見ゆ

 大正11年(1922年)8月、若山牧水は犬山城に登る。

   尾張犬山城

犬山の城に登り立ちわが見るや尾張だひらの秋のくもりを

桑畑の中をすぎ来てかへりみる犬山の城は秋霞せり

『山桜の歌』

 昭和4年(1929年)4月23日、与謝野鉄幹・晶子夫妻は犬山城を訪れている。

 昭和47年(1972年)、山口誓子は犬山城を訪れている。

   犬山城

絨毯を敷きて冷えきる天守閣

『不動』

木曽川に架かるライン大橋


伊木山が見える。

 平成16年(2004年)4月、財団法人犬山城白帝文庫が設立され、城の所有は個人から財団法人に移管された。

 平成18年(2006年)4月6日、日本100名城に選定される。

平成27年(2015年)7月8日、松江城が国宝に指定された。

「私の旅日記」2011年〜に戻る