天文6年(1537年)、織田信長の叔父織田信康によって築かれた。 天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いで豊臣秀吉は犬山城に入り、小牧山の徳川家康と対陣した。 元和3年(1617年)、尾張藩主徳川義直の附家老である成瀬正成が3万石で犬山城に入る。 |
元禄元年(1688年)、27歳で致仕、出家して京都に住む。翌年、中村史邦の紹介で芭蕉に入門。 元禄13年(1700年)、故郷の犬山に帰るが、暑さに耐え兼ねて美濃へ。 |
犬山にて市中苦熱 |
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涼しさを見せてやうごく城の松 |
享和2年(1802年)3月26日、太田南畝は鵜沼宿を前に対岸の犬山城を見ている。 |
坂を下りて右のかたに田面をへだて、はるかに塔のごとくみゆるは犬山の城楼也。山の上につくりたれば、いや高くみゆ。 |
明治24年(1891年)10月28日、濃尾大地震。天守閣は半壊。 明治27年(1894年)6月、高浜虚子は太田から木曽川を下り、犬山城を見ている。 |
旅芸者とは関の追分にて別れ百姓と連立ちて木曾川に沿うて下る。道の左方に城見ゆ。稲置城といふ。尾張の国の家老何某の居城なりしなど百姓の教へ呉るゝに僅に足の痛みを忘れて行く。 |
明治28年(1895年)、修理をする条件で旧藩主成瀬家所有の城となった。 |
明治38年(1905年)9月、長塚節は木曾川の沿岸を行き、犬山城を見上げている。 |
木曾川の沿岸をゆく 鱗なす秋の白雲棚引きて犬山の城松の上に見ゆ |
大正11年(1922年)8月、若山牧水は犬山城に登る。 |
尾張犬山城 犬山の城に登り立ちわが見るや尾張だひらの秋のくもりを 桑畑の中をすぎ来てかへりみる犬山の城は秋霞せり
『山桜の歌』 |
昭和4年(1929年)4月23日、与謝野鉄幹・晶子夫妻は犬山城を訪れている。 |
昭和44年(1969年)、富安風生は「名鉄犬山ホテル」に泊まり、犬山城を訪れている。 |
犬山城 深秋の暁紅に城染まり出づ 白帝城を鎮め秋天紺を張る 「千里江陵一日還」 江陵を延べ秋水に一孤舟 掌上に珠と愛して秋の城
『米寿前』 |
昭和47年(1972年)、山口誓子は犬山城を訪れている。 |
犬山城 絨毯を敷きて冷えきる天守閣
『不動』 |
平成16年(2004年)4月、財団法人犬山城白帝文庫が設立され、城の所有は個人から財団法人に移管された。 平成18年(2006年)4月6日、日本100名城に選定される。 |