2012年埼 玉

太田道灌公之像〜日光御成道一里塚〜
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 さいたま市岩槻区本町の県道2号さいたま春日部線沿いに旧岩槻市役所跡がある。


旧岩槻市役所跡に太田道灌公の像があった。

太田道灌公之像


 太田道灌公は文武両道に秀でた武将で、築城の名手であった。

 1457年、岩槻に白鶴城を、後に徳川300年の中心となった江戸城を築いている。

 岩槻ライオンズクラブは結成20周年を記念し、500年前の往時を偲び道灌像をゆかりの地岩槻に建立した。

   1985年10月27日

岩槻ライオンズクラブ寄贈

山吹の花が咲いていた。


山吹は旧岩槻市の花。

平成17年(2005年)4月1日、旧岩槻市はさいたま市に編入。

県道沿いに「日光御成道一里塚」の碑があった。


 江戸時代、全国の主要な街道には、1里(約4km)ごとに、榎や松などを植えた塚が道の両側に設けられ、道の行程の目安とされていました。これを一里塚といいます。

 日光御成道が通っていた岩槻でも、笹久保、岩槻城下久保宿町、相野原(現存、県指定史跡)の3か所に一里塚が設けられていました。その内の岩槻城下久保宿町の一里塚は、現在の岩槻区役所前あたりに設けられていました。日光御成道は、幕府将軍が日光東照宮に参詣する際の通行路として整備された街道です。

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