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さいたま市岩槻区本町の県道2号さいたま春日部線沿いに旧岩槻市役所跡がある。 |

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太田道灌公は文武両道に秀でた武将で、築城の名手であった。 1457年、岩槻に白鶴城を、後に徳川300年の中心となった江戸城を築いている。 岩槻ライオンズクラブは結成20周年を記念し、500年前の往時を偲び道灌像をゆかりの地岩槻に建立した。 1985年10月27日
岩槻ライオンズクラブ寄贈 |


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江戸時代、全国の主要な街道には、1里(約4km)ごとに、榎や松などを植えた塚が道の両側に設けられ、道の行程の目安とされていました。これを一里塚といいます。 日光御成道が通っていた岩槻でも、笹久保、岩槻城下久保宿町、相野原(現存、県指定史跡)の3か所に一里塚が設けられていました。その内の岩槻城下久保宿町の一里塚は、現在の岩槻区役所前あたりに設けられていました。日光御成道は、幕府将軍が日光東照宮に参詣する際の通行路として整備された街道です。 |
| 将軍が日光東照宮にお参りする時、江戸城を発ち、岩槻に一泊し、さらに、古河城、宇都宮城に泊って日光に入ったといわれている。 |
