2008年〜埼 玉〜
ふるさとの散歩道〜本町5児童公園〜

「中山道間の宿」の碑から元荒川沿いの吹上本町5児童公園へ。
喬駟の句碑があった。

水底の照る見る空か天の川
喬駟は中山道間の宿の「本陣」林家の当主。
芳石の句碑もあった。

明星の水田にさすや鴫の声
芳石は本名三井元輔。旧北新宿村の医師。常世田長翠に俳諧を学ぶ。
寛政6年(1794年)から8年間、長翠は本庄の戸谷家に逗留していた。
文久2年(1862年)、没。
北新宿の永昌寺に墓がある。
元荒川沿いを歩くと、JR高崎線の鉄橋がある。

鉄橋の手前に里恵の歌碑があった。

幾とせもかはらぬ松の色そへて
古々路のままにおくる月かげ
三上里恵は所沢の女流俳人。雪中庵三世大島蓼太に師事。
天保4年(1833年)、榎戸村の玉芝(横田氏宣)を訪ねた折に詠まれた歌。
81歳の時である。
俳諧だけでなく和歌もよくした人であったようだ。
JR高崎線の鉄橋を過ぎて、元荒川沿いを歩く。

榎戸堰公園に文玉の句碑があった。

鵜遣いの年に不足はなかりけり
文玉は榎戸村の眼医者横田邦厖。常世田長翠の指導を受けている。
天保10年(1839年)8月、文玉は64歳で没。
息子の氏宣も俳人で、俳号は玉芝。
玉芝の句碑が荒川パノラマ公園にあるそうだ。
今日は歩き疲れたので、荒川パノラマ公園は後日。
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