別所沼にて 三句 沼の底明るくて目高眠る間なし 魚卵抱く沼は薄暑の陽をもぐらせ
『菊凪ぎ』 |
昭和35年(1960年)4月、設置。 昭和43年(1968年)2月13日、中野四郎没。 |
曼珠紗華 あつまり 丘を うかせけり |
『戦後間もない昭和21年頃、沼の付近一帯は、赤い曼殊沙華の花ですっかり埋まったものでした。かな女』浦和市広報昭和38年10月号、名誉市民決定の際の述懐より。 かな女は、高浜虚子の指導を受け、大正・昭和初期を代表する女性俳人として俳句界の発展に貢献した。40年余り浦和のこの調神社の近くに居住し、多くの句集・随筆の発刊を通じて、浦和市民並びに埼玉県民の教養の向上と文化活動の普及発展に寄与した。 昭和5年9月に雑誌「水明」を創刊。浦和市名誉市民。埼玉県文化功労賞受賞。紫綬褒章受章。 昭和44年9月22日永眠・享年82歳。同9月27日浦和市葬、勲四等宝冠章受章。
浦和ロータリークラブ 水 明 俳 句 会 |
よく見れば色小鳥 ゐてかぎりなく雨 木隠りにあらはれて 飛ぶ |
明治44年(1911年)、秋田県生まれる。昭和期の歌人。 歌誌「長風」主宰。 昭和10年(1935年)、北原白秋の「多磨」に創刊と同時に白秋に師事。 昭和18年(1943年)、さいたま市(旧浦和市元町)に住む。以後、同所に居住。 昭和22年(1947年)、詩歌同人誌「萬歴」編集発行。 昭和28年(1953年)、コスモス短歌会設立に参加。埼玉支部を率い短歌を志す方々の指導に当る。 昭和29年(1954年)、埼玉歌人会の創設に努める。 昭和32年(1957年)、長風短歌会を設立、月刊歌誌「長風」を創刊。 昭和55年(1980年)4月1日、逝去。享年69歳。 著書 歌集『谿』『みずうみ』『長風』『禽獣』『幻影』『花酔』 『鈴木幸輔全歌集』評論随筆集「流憩」 その他 |
昭和9年(1934年)、神保光太郎は埼玉県浦和市(現:さいたま市)の別所沼のほとりに住む。 |
沼のほとりを めぐりながら 神をおもふ 水面に映る ひとひらの雪 羊の孤独
冬日断章より |
この像は、トルーカ盆地のカリストラワカで発掘された石像の複製品であり、エヘーカトル・ケッツアルコアトル即ち風の神を現わしています。 この風の神は、健康、豊作及び知恵を市民にもたらす恵みの神といわれています。 兄弟である埼玉県民の皆様、我々の祖先の文化を象徴するこの像を、埼玉県民とメキシコ州民の絶えざる友好と親善の願いをこめてここに贈ります。 |