大分の生んだ天才音楽家瀧廉太郎は、「荒城の月」「箱根八里」「豊太閤」「鳩ポッポ」など、矢つぎ早に不朽の名曲をのこして23才と10ヶ月の若さで、彗星の如く逝った。 この地は、彼が明治35年12月、ドイツ留学から帰朝し、病を養った稲荷町の自宅の跡である。養病半歳、明治36年6月29日遂に永眠した。 |
明治25年(1892年)1月、瀧廉太郎は大分県直入郡高等小学校に転入。 明治26年(1893年)、朝倉文夫は大分県直入郡高等小学校に入学。 明治27年(1893年)4月、瀧廉太郎は大分県直入郡高等小学校を卒業。 |