延長5年(927年)の『延喜式神名帳』に「陸奥国磐城郡小七座・温泉(ゆ)神社」とある。これが湯本温泉の最も古い記録だそうだ。 |
あかずしてわかるる人の住む里はさはこのみゆる山のあなたか
『拾遺和歌集』(詠み人知らず) |
元禄9年(1696年)、天野桃隣は小名浜からいわき湯本温泉を訪れている。 |
小名浜ヨリ二里来て湯本アリ。山は権現堂、梺は町家、温泉数五十三、家々の内に有。勝手能諸事自由にて、近国より旅人不絶。 |
いわき湯本温泉に公衆浴場「さはこの湯」があるが、飯坂温泉にも共同浴場「鯖湖(さばこ)湯」がある。 |
いわき湯本温泉は自噴していたが、明治になって大規模な石炭採掘が始まると自噴しなくなる。 |
大正4年(1915年)5月、野口雨情は妻ひろと協議離婚。湯本温泉の芸妓置屋「柏屋」の女将明村まちに求婚され、長男雅夫、二女の美晴子を連れて「柏屋」に住む。 |
雨情は大正14年から2、3年、いわき湯本で過ごした。いわきの湯をこよなく愛し、たびたび「新つた」を訪れたそうだが、当時温泉は出なかったわけである。 |
泉質は含硫黄−ナトリウム−塩化物・硫酸塩温泉(低張性弱アルカリ性高温泉)。PH8.1。泉温は59.0℃。 |