2016年長 崎

平和公園〜平和祈念像〜
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長崎に来て、平和公園を素通りするわけにはいかない。


平成25年(2013年)3月1日、「平和の歩道」エスカレーター完成。


平和祈念像まで楽に行ける。

平和の泉


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のどが乾いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが
一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました

――あの日のある少女の手記から

長崎刑務所浦上刑務支所跡


 長崎刑務所浦上刑務支所は、松山町・岡町橋口町の3か町にまたがる丘の上にあり、敷地約2万平方メートル、庁舎面積約1万3千平方メートルの爆心地にもっとも近い公共の建物であった。

 昭和20年(1945年)8月9日、午前11時2分、1発の原子爆弾のさく裂により職員、官舎住居者計134名全員が死亡した。周囲の高さ4メートル、厚さ0.25メートルの鉄筋コンクリート塀は、ほとんど根元から倒壊し、木造庁舎も炊事場の煙突1本を残して倒壊全焼した。

 昭和28年(1953年)、北村西望井の頭公園内のアトリエで平和祈念像の制作を開始する。

平和祈念像


平和祈念像作者の言葉

あの悪夢のような戦争
 身の毛もよだつ凄絶悲惨
  肉親を人の子を
かえり見るさえ堪えがたい真情
 誰か平和を祈らずにいられよう
茲に全世界平和運動の先駆として
この平和祈念像が誕生した
山の如き聖哲
それは逞しい男性の健康美
全長三十二尺余
右手は原爆を示し左は平和を
顔は戦争犠牲者の冥福を祈る
 是人種を超越した人間
  時に仏 時に神
長崎始まって最大の英断と情熱
 今や人類最高の希望の象徴

昭和三十年春日 北村西望

昭和30年(1955年)8月8日、除幕式。

島原城内に北村西望記念館がある。

昭和40年(1965年)5月11日、荻原井泉水は長崎を訪れている。

長 崎 三句

右手青空を左手つつじを指して平和像なり
五月十一日

十六番館のつつじ風景出船入船と見る

おもかげ海を見るさまの蝶々夫人蝶々


外国からの観光客が盛んに記念写真を撮っていた。

平和祈念像も奈良の大仏と同じなのだろうか。

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