2016年〜宮 崎〜
都井岬〜若山牧水の歌碑〜
鵜戸神宮から串間市の都井岬に向かう。
海岸沿いの国道448号線が全面通行止めの為、国道220号線に迂回してJR串間駅前交差点から国道448号線で都井岬へ。
都井岬には、いたる所に馬がいる。
国民宿舎「都井岬」の前に若山牧水の歌碑があった。
日向の国都井の岬の青潮に入りゆく端にひとり海見る
明治40年(1907年)夏、牧水が青島から南九州を訪れた時に詠まれた歌。
第一歌集『海の声』、第三歌集『別離』に収録されている。
椰子の実を拾ひつ秋の海黒きなぎさに立ちて日にかざし見る
あはれあれかすかに声す拾ひつる椰子のうつろの流れ実吹けば
日向の国都井の岬の青潮に入りゆく端に独り海聴く
『海の声』
昭和22年(1947年)9月17日、建立。喜志子夫人の揮毫。
『牧水歌碑めぐり』(大悟法利雄著)によれば9番目の牧水碑である。
昭和二十二年九月十七日の牧水忌に除幕されたから、大戦後最初に出来た牧水歌碑であり、坪谷の記念館裏の歌碑もこの刺激によって企画されたものだったと記憶している。主唱者は串間市(当時、福島町)出身で宮崎の日向日々新聞社文化部長だった詩人神戸雄一で、地元都井村や福島文化クラブの協力によって完成したものだった。ただ、この歌は牧水の書いたものがなかったため、夫人の揮毫したもので、「牧水詠、喜志子書」となっている。歌は明治四十年の夏、「幾山河」の歌を作って帰省した牧水が、その頃出稼ぎのような形でこの岬の入口の都井村に来ていた医師の父立蔵を訪ねた時の作である。
この歌、普通に上の句下の句という風に読んでは意味がよくわからない。「岬の」は口語の「岬が」だから、「日向の国都井の岬の」と二句で一度小休止して、「青潮に入りゆく端に」と続けて読むことが大切である。五七五、七七でなく、五七、五七、七というのはむしろ古歌の形だが、若くして万葉の古歌の声調に学ぶところの大きかった牧水の歌にはその声調が非常に多い。
都井岬灯台
昭和33年(1958年)2月16日、水原秋桜子は都井岬を訪れている。
都井岬
礁群(いわむれ)に向ひ鶏鳴く棕梠の花
同、燈台
石階や暮春蘇鉄の影かさね
『蓬壺』
平成12年(2000年)、「都井岬グランドホテル」廃業。
平成17年(2005年)、金子兜太は都井岬を訪れたようである。
都井岬にて 三句
霧の海ひつそりと春情の野生馬
蘇鉄雄花野生馬の男根のごとく
屋久島かすかに見える岬に飛魚(あご)食うぶ
『日常』
平成22年(2010年)、「都井岬観光ホテル」廃業。
廃屋になっている。
都井岬ビジターセンターを見下ろす。
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