2012年京 都

八木家住宅〜新選組屯所遺蹟〜
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 文久3年(1863年)2月8日、浪士組は小石川伝通院に集まり江戸を出立して中山道を上洛する。23日、京都壬生村に到着。

京都市中京区壬生梛ノ宮町に「新選組屯所遺蹟」の碑があった。


新選組発祥の地(八木家)

 ここは、幕末の頃、京都の浪士取締りや治安維持に活躍した新選組の屯所があったところである。

 文久3年(1863年)春、第十四代将軍、徳川家茂の上洛警護のため、清河八郎率いる浪士組が入洛したが、その宿舎の一つとして使われたのが、当時壬生村の郷士宅であった八木家の屋敷であった。清河ら浪士組のほとんどは、在京20日余りで再び江戸に戻ったが、当所に分宿していた芹沢鴨、新見錦、近藤勇、土方歳三らは、引き続き京都の警備のため残留し、京都守護職松平容保(会津藩主)の配下に属して新選組と名のった。

 当初新選組は、当屋敷に「新選組屯所」の標札を掲げ、隊員は僅か十数人であったが、次第に隊士が増え付近の屋敷にも分宿した。

 以後、市中の治安維持に勤め、元治元年(1864年)の池田屋事件では、クーデターを起こそうとしていた過激な長州藩士らの一派の計画を未然に防ぎ、一躍その名を洛中に轟かせた。

 翌年の慶応元年(1865年)4月、新選組屯所は西本願寺に移され、翌年には更に南の不動堂村(京都駅北西)に移り、鳥羽・伏見の戦いの直前には伏見奉行所に入った。

京都市

八木家住宅


 八木家は、壬生村きっての旧家で、かつて壬生郷士の長老をつとめていた。また幕末には新選組の近藤勇、土方歳三らの宿所となり、旧壬生屯所として知られている。

 建物は長屋門が東に開き、その奥に主屋が南面して建つ。当家に残る普請願から長屋門が文化元年(1804年)主屋は文化6年の造営と知られる。

 主屋は西端に土間を奥まで通し、土間に沿って居室を3室ずつ2列に配する。入口は土間部分に開くほか、東南隅に式台を備えた本玄関を配し、その北に仏間、奥座敷を一列に並べて格式ある構成をとっている。長屋門の外観は、腰に下見板を張り、与力窓や出格子窓を開くなど、昔のおもかげをよく残している。

 壬生地区は今日市街化が著しいが、かつては洛中に近接した農村であり、当家は幕末期の遺構として、また新選組ゆかりの建築として貴重であり、昭和58年6月1日、京都市指定有形文化財に指定された。

京都市

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