芭蕉の句碑
『奥の細道』〜東 北〜

五月雨耳飛泉婦梨う川む水可佐哉

| 元禄2年(1689年)4月29日(陽暦6月16日)、石河の滝(乙字ケ滝)で詠まれた句。 |
| 須か川の駅より東二里ばかりに、石河の滝といふあるよし。行て見ん事をおもひ催し侍れば、此比の雨にみかさ増りて、川を越す事かなはずといゝて止ければ |
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さみだれは滝降りうづむみかさ哉 | 翁 |
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「五月雨は凄じい勢で降っている。こう降ったのでは、水嵩が増して、見たいと思っているあの石河のの滝を降り埋め、滝の姿を消し去っていることであろう」の意。 「五月雨は」の「は」は、俳句独特の用法ともいうべきもので、眼前の五月雨のすさまじさが、そのまま、まだ見ぬ滝のさまに結びついていった表現である。「の」とか「に」とかでは、この感じが生きてこない。「降り埋む」も思いきった大ぶりな表現で、細かい描写を事とする現今の俳句には跡を絶った手法である。五月雨でせっかくの滝見物ができず残念でならない気持を、何とかして自らに言いきかせ納得させて静めようとしている口吻さえ味わい取ることができる。なお、この句は滝見物を断念した時点での作であるが、須賀川を出発した四月二十九日には滝を見物することができた。 『荵摺』の前書「増」の字脱落、ほとんど同文の前書をもつ『曾良書留』・『蕉門録』によって補った。『雪丸げ』には句のあとに「案内せんといはれし等雲と云ふ人のかたへ書きてやられし。薬師也」と付記がある。句は右のほか、『奥細道拾遺』・『雪丸げ』・『一葉集』(『阿武隈の水源にて』と前書)にも収める。上五、『安達太郎根』に「五月雨に」、『青かげ』に「五月雨の」と誤る。『曾良随行日記』記載の状況よりみて元禄二年二十五、六日前後の作であろう。 『芭蕉全句 下』 |
| 保土原館は中世二階堂氏が築いた城で、現在の愛宕山の一角の須賀川市博物館の位置にあった。 |

