2020年鹿児島

性応寺〜与謝野寛・晶子の歌碑〜
indexにもどるindexにもどる

姶良市加治木町朝日町に性応寺という寺がある。

性応寺


浄土真宗本願寺派の寺である。

 明治14年(1881年)、与謝野鉄幹の父は本願寺鹿児島別院加治木説教所の僧侶として赴任。9歳の鉄幹も父に従い1年余りを加治木で過ごした。

ましてわが良人は、小學時代を鹿兒嶋と加治木とに送りしかば、なつかしき第二の故郷として、四十幾年のあいだ、しばしば夢にも見て、如何で身のいとまあらば再び彼國を訪はんと、常に言へり。


明治17年(1884年)、性応寺と称す。

昭和4年(1929年)、与謝野寛・晶子夫妻は性応寺を訪れた。

性応寺の角に与謝野寛・晶子の歌碑があった。


老の身の相見て嬉しをさなくて加治木の寺に植ゑしたぶの木
   寛

加治木なる五つの峰の波形の女めくこそあはれなりけり
   晶子

左側に与謝野鉄幹・晶子の歌が刻まれていた。

   与謝野鉄幹の歌

わが父の名を知る人に逢ふことは兄弟のごとなつかしきかな

わが父が加治木に住みし六十ぢにも年ちかづきて加治木には来ぬ

をさなくて紙鉄砲をつくりたる金竹(きんちく)いまは杖にきらまし

見上げつつ夢かぞと思ふをさなくて加治木の寺に植ゑしたぶの木

   与謝野晶子の歌

鹿兒嶋へ夕日を追ひて行くやうに車やるなり加治木の峠

昭和57年(1982年)4月、建立。法元六郎製作。

2020年鹿児島〜に戻る